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地域おこしは5年、6年のスパンで

 僕は、大体5年、6年のスパンで島おこしをやっています。小浜島に帰って25歳までの間、25歳〜30歳までのキビ刈りを中心とした活動、そして30歳からことし36歳までの活動ということで、今勝連でやっていることを中心にお話ししますと、1年目、子供たちが舞台を行うことで感動体験というのをやります。これ、簡単に言うと種まきです。「よかった」、涙を流す感動をまず味わってもらいます。
 この子供たちが中心になって、次は2年目も頑張るぞという勢いが出たところで、今度は子供たちの中でリーダーをつくります。いいですか。子供が子供を教えるというシステムをつくります。肝高キッズリーダーズというのをつくりました。
 ホールがオープンした3年目、何をするか。今度は、大人サポーターズと言われている親の会、これをつくります。子供たち感動体験して、本物のリーダーができて、子供の組織が元気になればなるほど、このお父さん、お母さんの送り迎え、ご飯、着付け、メイク、役員、チケット販売、重要です。子供の夢を実現させるための、大人のチームをつくります。これを大人サポーターズと呼びます。
 4年目。さあ、補助金が切れました。いいですか。ここからです。
 つまり、自分たちで公演をする。これは、勝連の人がいたら非常に耳の痛い話かも知れませんが、ホールオープンした3年目のこの年は、実施事業の予算が1,000万円ぐらいあったわけなんですよ。どうぞやってください。
 4年目、つまりホールオープン2年目、実施事業の予算が0円になりました。いきなり0円ですよ。「館長、何すればいいんですか」と課長にくってかかりましたら、「ちょっと考えてくれ」と言うので、私が逆提案しました。
 本来、公共文化施設は一つの団体が連続で2週間以上借りたら駄目というのがあります。継続で借りるのは駄目なんです。この条例を特別に、「ただし」というただし書きがありますから原則としてですからね。ただし書きを適用してもらって、1ヵ月間「阿麻和利」の公演をさせてほしいとお願いしました。土・日、土・日、土・日、土・日の9回公演。これをさせてほしい。自主公演で、なんとここで500万円ためました。これで、自主事業の予算をつくりました。
 5年目。今度は、なんと交流が始まるんです。新聞でも出てましたが、私は勝連以外でも八重山「オヤケアカハチ」、金武町「当山久三ロマン」、そして浦添市では「太陽(ティダ)の王子」という子供を舞台につくりました。同じような形でこういうふうに立ち上げてきましたんで。
 おもしろいんですよ、子供たちは目覚めてくると、「ほかの地域と交流がしたい」と言って、人物の人間の交流がまた始まったんです。作品があるときには、もちろん応援に行く。それも、裏方とか役員をやりたいと言うんですよ。このリーダーチームが大体率先して交流していきます。
 さあ6年目、昨年です。あえて言うなら、このときを「収穫」と呼んでもいいかもしれませんけれども、実はこのまいた種が新しい種となって、各分野でのリーダーになっていきます。例えば子ども会、例えば学校、生徒会の役員をやったり、例えば地域の中で、ここでホールで学んだものを持っていって、今度はそれぞれの分野でのリーダーとして頑張ってくれる。
 これは余談ですけれども、「肝高の阿麻和利」の阿麻和利を演じる比屋根君という子がいます。高校3年生。彼は、中学校1年生のときから阿麻和利を始めました。1年、2年、3年、4年、5年、6年、つまり高校3年生の昨年は、阿麻和利を城(グスク)でやりました。3日間で1万3,500人のお客さんが来た。  
そのグスクの舞台で、彼はやった後に、なんと推薦で慶応大学に受かりました。これ何か。塾に行くよりも地域に根ざした活動、ここが評価されたんです。面接で彼は聞かれたらしいです。「君はどういうことをやりたいのか」と。慶応大学の総合政策部というのがあります。地域政策を学ぶところですね。大体、トップのクラスです。そこに彼は行って、なんと3人の面接官相手に1人で30分間の質疑応答があるんです。それも厳しい質問なんです。彼は何と答えたか。「君は沖縄で何をしたいのか」と、彼は「文化を基調とした子供たち、そして地域づくり、その地域政策を学びたいんだ」と言いました。基地の跡地を利用した、こういう活動がしたいということをバーンと言ったんです。それがもうとってもうけて、その日に合格が決まったという裏エピソードがあるくらい、このリーダーが飛んでいく。
 1の人女の子は、弁論大会で全国2位になりました。1人の女の子は、「学校を変える」と言って、与勝高校の生徒会長になりました。つまり、僕らのようなことをやりたいと。
 僕らは、どちらかというと大人と小人の間に入っているジョイント役のリーダーですね。学校も同じです。生徒と先生とあるわけです。生徒会は、本来こういうジョイント役なんじゃないかと彼女は考えた。平田さんみたいな仕事をやりたいんだから、じゃ生徒会長として学校を、この生徒と先生の間をつないだらどうだろうかとやり出して、与勝高校も今大きく変わりだしている。来年から与勝高校も中高一貫教育ですね。県内全体から子供が集まってくる学校になります。芸能家庭コースというのが、何か今度新しく表現学科みたいなのがあるみたいです。
 ついに勝連町は、これを通して昨年3月に「肝高っ子の町宣言」という宣言をしました。条例にうたいました。勝連町は、子供たちがすくすく育ちやすいまちづくりを目指す。子供たちは、自分たちが学んだことを、次の時代にちゃんと伝える役目をするという6つの項目が並んだ「子供のまち宣言」を、全国で3番目にやったというですね。
 そういうふうな経緯がありますが、子供が変わることで大人が変わって、大人が変わることでまちが変わるという、まさに典型的な例だと僕は思っているんです。
 この中でどうでしょうか。「阿麻和利」の舞台というのをもう既に見たことがあるという方どのくらいいらっしゃいますか。見たことがあるという方。これだけいるというのは、うれしいですね。ありがとうございます。
 じゃ、今、手を上げていらっしゃらない方は、ほとんどまだ見たことがない。新聞とかテレビとかでちらちらと聞くけれども、という感じだと思います。
 5分間、休憩をとります。5分間休憩をとった後に、そのビデオでワンシーンだけきょう持ってきました。私が一生懸命話しますけれども、ビデオを見てもらった後に、もう1回その後半の部分、大事な提案の部分の話をしていきます。これビデオ見る前と見た後は、何かまるでやせる薬を飲む前と飲む後ぐらい、かなり皆さん雰囲気が変わって、「こうなっているの」みたいな使用前・使用後ぐらいに変わるものですから、きょうビデオも用意してありますので、ちょっとこれを見てもらって、後半、締めの話をしてみたいと思います。
 では皆さん、5分間休憩しましょう。お疲れ様でございました。
(休 憩)
(再 開)
 講演会等は、大体2時間ぐらいなんですけれども、通常ですと大体学校関係、あと教育はPTA関係の講演会が多いんですが、つい2、3日前には勝連町のほうで、中部の商工会女性部の皆さんの会議がありまして、そちらでお話しさせてもらいました。
 今、見てもらうビデオ。これは、子供たちの舞台の演技のビデオです。私が先ほど説明しておりました「肝高の阿麻和利」の舞台を含めまして、今いろいろな活動をしておりますけれども、まず舞台を見てもらった後に今後の活動の展開と、あとこれが農業とどういうふうに関係をしてくるのか。これ実は重要なんです。ぜひ見てもらいたいと思います。
 場所は、きむたかホールです。いつもは、中高生がやっている舞台をメインに見てもらっているんですが、本番は中高生がやってますが、1回だけ中高生のキッズリーダーズが教えた小学生のチームの舞台ってやったことあるんですよ。1回だけあります。そのビデオ。小学生の演技がかわいらしく、すばらしいものですから、これ見てもらって、その後にちょっとお話をしましょうね。
(ビデオ上映)

 どうだったでしょうか、皆さん。これ、小学生の演技です。全員、小学生。プチ阿麻和利をやってましたけれども、プチ百十踏揚が出たりして。その指導をしていた中高生が、ちょうど後ろにみんなで応援して、それで子供たちのこういう活動を支えて、今度は翌日は自分たち中高生が本番なわけですよ。
 つまり、僕さっき目線の話をしました。子供たち舞台に立っているだけではわからないことがいっぱいあるんです。おそらく出演本番中に、受付に舞台を見れない役員がいるということを初めて知ったんですね、これで。それをお父さん、お母さんがいつもやってくれているんだと。「お父さん、お母さん、ありがとうございました」と言うときに、声が本物になるわけですよ、言葉が。この挨拶も、基本的に自分たちで考えてますから、僕もそばで聞いてちょっと涙ぐんでおりましたけれども。
 子供たちの、この技術的にはさることながら、やっぱり目の力というんでしょうか、目の輝き。それが見たくて、あの竹中平蔵大臣が昨年は2回来たんです。
 我々、今この活動の中で非常に感じていることがあります。それは、「教育でまちづくり」なんて言って、何となくのイメージですよ。教育でまちづくりと言っても、これはもう本当に大きな効果があります。
 理由を簡単に言うならば、小浜島で僕が味わっていた感動体験、子供のころ感動体験、笛を吹くのがなかなかうまくいかないのに、これが笛が吹けた瞬間にぐっと伸びたとか、サトウキビをやってて、最後の1本刈り取ったときの「うわーっ」という歓声とか、こういう1個1個の感動体験は、子供のときに種をまかないといけないわけなんです。
 何かのきっかけで、だれかの出会いで、それが芽を出し、花を開くことがあります。人づくりの種をまく。その種は、まず一つ感動体験であるということ。そして私、今考えていることをここにじゃーんと書いてますね。


一流の島んちゅは一流のほら吹きである

 僕は、沖縄は「観光立県」と言ってますけれども、「文化立県」でいくべきだと。15年前からずっと言ってます。沖縄タイムスという新聞にコラムの欄がありまして、そちらに今から本当に15年前に僕の書いたエッセーがありますけれども、その中に「観光立県ではなく文化立県を目指す」という一文がありまして、当時から僕はずっと言ってたんです。
 実は、その今手がけようとしていることの最後に夢のような、「また一流の島んちゅは一流の大ほら吹きであるという。」私のおやじが酔っ払ったときの名言がありまして、大きなほらを吹こうじゃないかという話ですね。
 ところが、ほら吹きと嘘つきは違うんですよ。何が違うか。ほら吹いた後に実現させてしまえば、それはほらでなくなるんです。大事なことは、大きな声で叫ぶことですね。
 「地域・文化・教育で沖縄をおこす」と書いてあります。「一つは、教育で地域をおこす。文化で産業をおこす」と書いてます。その中で今やっていること、勝連町、浦添、八重山、金武、これ今やっているところです。ことしは嘉手納「野国総官」を手がけます。来年、首里城で、首里の王様の大奥のようなものをやる予定です。これは首里城は、まだオーケーとれてないらしいので、那覇市民館でもやる予定となっておりますけれども、こういう感じになります。そして、首里城の物語。
 今、勝連は「阿麻和利」、浦添「太陽の王子」は英祖、八重山は「オヤケアカハチ」、こういうふうにこの首里城の王様のとの関連のあった物語もありますので、勝連、浦添、八重山に関してはグスクロマンシリーズということで、ことし那覇市民会館を3回借りまして、5月、8月、あけて3月に、それぞれの舞台を、僕らが今までつくってきたものを見てもらう。子供たちがやる気になったところで、那覇はこの舞台をつくるという。これ那覇市教育委員会、動いてます。
 那覇市は、すごいことにもう1個、那覇センセーションというのをやります。これわかりますか。那覇の子供たちに僕ら専門家講師派遣事業ということで、5回の講座ワークショップを開きに行くんです。そこで、わーっと子供たちに感動体験をやるわけですね。1個の作品つくって、ばーんとやります。これの大人版をやろうという提案が、那覇市教育委員会から出ました。名づけられたのが、那覇の先生がやる「那覇センセーション」というんです。それで、これはすごいですよ。大人たちが子供たちに教わるんです、踊りを、歌を、ダンスを。もうそれを先生と生徒が一緒に共演でやるというような試みです。
 そして次、今度は「文化で産業をおこす」
 沖縄文化コンテンツ産業、皆さんわかりますか。言葉難しいからね。コンテンツというのは、言ったら、項目とか目次とかということです。簡単に言うと、沖縄文化コンテンツ産業の大きな一つは商業的な舞台をつくって、これを全国に発信していこうというふうな試みですね。
 今、手元に「大航海レキオス」を配っていただけますか。これ、早速手がけてます。今週土・日に本番、1月29日、30日に本番を控えている。琉球放送創業60周年事業で「大航海レキオス」という舞台がありますけれども、この舞台、我々が今まで地域で起こしたこういったものを、子供たちだけでなくて、大人も子供も一緒になって産業としてやったらどうなるだろうかという、プロを意識した舞台づくりを実際手がけています。チラシが今配られてますが、後で皆さんどうぞゆっくり見てください。また後で詳しくお話しします。
 これにはいろいろあります。沖縄文化コンテンツ産業。コンテンツというのはここにもあるんです。DVDですね。CDですね。あと、ブック。アメリカとか東南アジア、インドネシア、中国を含めまして、日本のコミック産業は非常に今大きな注目を集めております。こういったものをやろうじゃないか。
 さあ、ここからです。下、「農業体験芸術活動」とあります。これは、今、小浜島でやっているキビ刈り援農塾の延長線にありまして、農林水産関係の予算がつけばうまくいきますけれども、つかなかったらつかなかったで手がけようと思ってますが。30日間キビ刈り体験をして、昼はキビ刈り、夜は舞台の稽古ということをやりまして、それでサトウキビの物語を1個つくっちゃおうと。これ、願わくば農林水産のフェアーが2月に行われますので、そこで発表しようという。こういう試みが今ちょっと予定です。考えてます。
 北海道富良野塾、ご存知の方多いと思います。「北の国から」の脚本を書いた倉本總さんがつくっているという。彼は、富良野塾を開いてもう20年超えましたけれども、そういうところは、実際に働きながら、農業を体験しながら夜の舞台の稽古を無料で舞台関係のスキルを教えているというところがあります。それによって、富良野は、今、活性化を果たしております。
 そして水産関係。モズク時期。これに関しては、私は今手がけているところからまずお話しますと、勝連のモズクというのは、皆さんご存知のとおり約半分、ちょっと足りないぐらいですけど、水揚げは勝連でされているというふうに伺っております。実際にそういう調べてもらいました。
 ところが、原料としてのモズクでございますので、あんまりみんなお金をもうけているような感じになるんですけれども、ところが本当は、私の知り合いではじき出すと、これの10倍はちゃんと加工すればもっと出せるんですね。ところが、何億というお金が入りますから、それでお金があるぞという気持ちになるんですけれども、本当は何十億になるくらいの資産があるんです。そういったものを今手がけたらどうだろうか。
 これは、一つは同じように働きながら舞台活動ができる。そのつくっているモズクのパックそのものが、舞台を応援してる活動になる。子供たちどんどん卒業していきます。卒業していった子供たちが、もっと舞台にかかわりたいと思うけれども、なかなかプロでやっていくというのは一握りしかおりませんし、僕は必ずしもプロの舞台人になるのを勧めておりません。むしろ、ちゃんとした島んちゅになるべきだと。その島んちゅの生活の中に、文化や歌や音楽があるというのは当たり前のことでありまして、その拠点としてきむたかホールを使ったらいいんじゃないかと。
 そのために、ここだけの話ですが、指定管理者制度という、平成18年から民間に管理を全部委託する方向性に県内どころか全国がそうなります。公共文化施設は全部、今度、民間に委託します。そのときに、こういうふうな産業みたいなものがメインになったらどうかと。
 もう1個、環境。やんばるの自然、グスク。これは世界遺産ですね。そういったもの、プログラムをつくってます。これは、今、日清という有名なラーメン屋さんがありますけれども、カップラーメン。あそこの新入社員の研修会はおもしろくて、無人島にカップラーメンだけ持たせて行かせるんですね。そこで実際にカップラーメンを食べて、「すごいぞ」と言って、そうやってやるというふうなプログラムがあると聞いたことがありますけれども。
 今、欧米ではやられてます。中間管理職の職に就く人を、アリゾナの山の中に1人ずつ落として、それが1週間後に帰ってくるみたいな、そういうふうな、非常に組織キャンプみたいなことをやっているんですね。
 日本でも、そういうことをされているところは若干ありますけれども、これを全国からやんばるの自然とか、グスクを使った形のものができないだろうかと。これ、実際に子供のキャンプはもう始めて5年になります。大人のキャンプも今要請が来ているので、これを手がけようというふうに思っています。
 最後に食文化。「健康・長寿・安心・安全な食材」と書いてますが、つまりここでモズクがとれた。この農業体験でつくったすごい無農薬とか、ちゃんとした安心・安全な野菜がある。そういう食材を使って、この沖縄のファームの人たちが集まって食べれるような場所をつくれないだろうか。これで働いている人たちは、夜は舞台の稽古をやって夜働けばいいし、もし月に1回の本番があるならば、その月に1回の本番のポスターがだーっと並んでいる。人が集まる、人が散る、集合離散の場所としてのこういうふうなことができるんじゃないだろうかというふうなことで。
 すみません、本当はもっといっぱい細かくコンテンツあるんですが、ざっくり今やろうとしていること。4月から、中間法人でこの担当を立ち上げます。私は、きむたかホールはそれで辞めることになります。
 もう6年間やってきて、今度は地域が立ち上がる番になります。各地域のものを今度を立ち上げるのではなくて、沖縄全体を舞台と考えてどう演出しようかということなんです。これを今あくまでもさっき言いました、ほらの一つです。これを頑張ってやらない限り、本当に基地がなくなった後の沖縄ってどうなるのかということを、ぜひ一緒に考えていきたい。
 子供たちはもう感じてます。代案がないことをわかってます。代案がないなら自分たちでつくろうと。そういうことなんですね。
 あと、やっぱり僕が思うのは、子供たちが遊ぶ場所がどうしても少ないですね。58号線沿いのパチンコ屋があって、そこに小っちゃな屋内で子供が遊べる施設がありますね。あそこによく子供を連れて行くんですけれども、子供900円、大人100円ですからね。もうウィークデーからいっぱいですよ。ましてや僕なんかも忙しい中で、日曜日ちょっとあいた時間で子供を公園に連れて行こうと思ったら、公園が雨で行けないとなった場合どうするかという。本当に安心して安全な子供たちを遊ばせる場所も少ない沖縄で、確かにやんばるの山とかそういうキャンプに行くというのはありますけれども、それと加えて、やっぱりそういう子供たちが本当に元気に遊べるような、友だちづくりができるようなそういう場所も必要なんじゃないかということで考えている。
 これは全部、僕の場合は今、文化・地域、そして教育という三つのキーワードをベースに頑張っていこうというふうに思っているわけでございます。
 こういうふうな流れの中で、このまちと村が交流するというところですね。そのまちと村が交流するところに一体どんなふうな意味があるのか。簡単に言うと、お互いが学び合うことですよ。
 さっきも私、言いました。内側の目線と外側の目線、両方大事なんだと言いました。内側の目線と外側の目線が交流によって芽生えてくる。まち村の交流ネットワークづくり。何となく見ると、何となくスルッと言っちゃいますけれども、とっても大事な言葉がここに全部書かれているんです。まちと村と。「まち」もわざとひらがなになってますね。おそらくきっと竹富町の「町」とか、あと「街」とかいっぱいあると思いますけれども、多分都市部と、あと言葉は悪いけれども田舎、島の交流ネットワークづくりだというふうに思いますけれども。
 交流ネットワークづくり。この言葉の中に込められていること。僕が先ほどからずっと話をしてきました。自分の島での活動のこと。全部これ大事なことが、自分の地域のことを誇りにできる人材をつくらなければ、交流はまずあり得ない。対等の関係でなければ交流はあり得ないと思うんです。ですから、教えてもらうばかりではありません。お互いに教え合う、励まし合う。これが重要だと思います。
 

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