4.「慰安婦問題」「住民虐殺」に対する県の見解

ページ番号1008276  更新日 2024年1月11日

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県は、「慰安婦問題」「住民虐殺」については、沖縄戦の特徴として後世に語り継がなければならない重要な史実であると認識しており、沖縄県平和祈念資料館において、次のように展示しています。

慰安婦について

慰安所の分布図を展示し、その説明文として下記のように記載しています。

沖縄の慰安所

沖縄でも各地の部隊の後方施設として慰安所が併設され、民家などが慰安所として使用された。「慰安婦」の多くは朝鮮半島から強制的に送られた女性であった。
彼女たちは部隊と共に移動させられたため、戦場で多くの人々が犠牲となった。

住民虐殺について

スパイ虐殺だけでなく、『住民犠牲の諸相』として、次のように展示しています。

住民犠牲の諸相

沖縄戦の最大の特徴は、正規軍人より一般住民の犠牲者数がはるかに多かったことである。戦闘の激化に伴い、米英軍の無差別砲爆撃による犠牲のほか、日本軍による住民の殺害が各地で発生した。
日本軍は沖縄住民をスパイ視して拷問や虐殺をしたり、壕追い出しや、米軍に探知されないために乳幼児の殺害などをおこなった。その他、食糧不足から住民の食糧を強奪したり、戦闘の足手まといを理由に、死を強要した。住民は逃げ場を失い、米軍に保護収容される者もいたが、食糧不足による餓死や追い込まれた住民同士の殺害などもおこり、まさに地獄の状況であった。

日本軍による住民犠牲

日本軍は、兵員、兵器、弾薬、食料などすべてが不足する中で沖縄戦に突入した。
このため、食料・避難壕などの強奪や戦場での水汲み、弾薬運搬への動員などによる多くの犠牲を住民に強いた。さらにスパイ視による住民殺害など残忍な行為もあり、なかには投降の呼びかけや説得にきた住民を殺害した例もあった。

壕追い出し

自分たちの住む町や村が戦場となった住民にとって、壕や墓などが避難場所であった。
しかし、出血持久作戦をとり首里から南部へ撤退してきた日本軍は、陣地として使用するという理由で、壕や墓などを強奪した。避難場所を追われた多くの住民は、砲弾が飛び交う戦場で犠牲となった。

スパイ視虐殺

軍民雑居の戦場となった沖縄の日本軍は、住民から軍の機密が漏れるのを極度に恐れた。「沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜トミナシ処分ス」という命令も出されていた。米軍の投降勧告ビラを持っていたり、投降を呼びかけてきた住民は非国民とみなされて、虐殺された例もあった。

日本軍の強制による集団死

日本軍は、住民と同居し、陣地づくりなどに動員した。住民の口から機密が漏れるのを防ぐため、米軍に投降することを許さなかった。迫りくる米軍を前に「軍民共生共死」の指導方針をとったため、戦場では命令や強制、誘導により親子、親類、知人同士が殺しあう集団死が各地で発生した。その背景には、「天皇のために死ぬ」という国を挙げての軍国主義教育があった。

食料強奪

食料を入手できなくなった地域では、日本兵による住民の食料強奪が相次いだ。なけなしの食料を強制的に提供させられたり、拒否する場合には殺害されることもあった。さらに、食料の乏しい離島では、日本軍にすべての食料を管理され、住民は飢餓に苦しんだ。

 

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