沖縄の米軍基地(べいぐんきち)
沖縄には、多くの米軍基地(べいぐんきち)があります。
特に、米軍だけが使っている基地(米軍専用施設(べいぐんせんようしせつ))は、日本にあるもののうち、その面積の約70%が沖縄に集中し、人口の9割以上が居住(きょじゅう)する沖縄本島では約15%の面積を占めています。その規模(きぼ)は、東京23区のうち13区をおおってしまうほどの広大な面積です。
太平洋戦争中の1945年(昭和20年)4月に沖縄本島に上陸した米軍は、基地をつくり始めました。アメリカは、戦争が終わった後も占領(せんりょう)を続ける中、中華人民共和国(中国)が成立し、また、朝鮮戦争(ちょうせんせんそう)が起きると、沖縄が太平洋の平和を守るための大切な地点になると考えて、基地建設(けんせつ)をさらに進めました。そのとき、沖縄の人たちの家や畑などの土地が強制的(きょうせいてき)に取り上げられたりすることもありました。
1952年(昭和27年)、日本は、主権(しゅけん)を回復しますが、沖縄は、その後もアメリカが統治することになったため、1972年(昭和47年)に日本に復帰するまでの27年間、アメリカに占領(せんりょう)され、統治(とうち)される状態が続きました。
日本に復帰した後も、多くの米軍基地が日本とアメリカの約束(日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく))にもとづく基地として引きつがれ、沖縄には今でも変わらず多くの基地が置かれています。
米軍基地の多くは、街の真ん中や近くにあるので、ショッピングセンターや公園、道路をつくることなど、沖縄の人たちにとって暮らしやすい街をつくることがむずかしくなっています。
米軍の飛行機やヘリコプターの事故が起きたり、戦闘機(せんとうき)などの大きな音が原因で夜眠れなかったり、学校の授業での先生の声が聞きづらくなったりもします。
また、米軍基地から飛行機などの燃料(ねんりょう)油がもれて川や海を汚し、沖縄の豊かな自然環境をこわしてしまうなど、いろいろな問題が起きています。さらに、米軍の兵隊が起こす犯罪(はんざい)も大きな問題のひとつです。
これらの問題は、沖縄の人たちの生活や自然環境に大きな影響(えいきょう)を与えています。
1996年(平成8年)に、日本政府とアメリカ政府が話し合い、街の真ん中にあり、世界一危険と言われている普天間飛行場(ふてんまひこうじょう)をはじめとする11カ所の米軍基地を日本に返すことが約束されました。(SACO合意(さこごうい)といいます。)
また、2006年(平成18年)には、約8,000人(2012年(平成24年)には約9,000人にあらためられました。)の海兵隊を国外に移し、嘉手納飛行場(かでなひこうじょう)より南にある6カ所の米軍基地を返すことなどが約束されました。
2013年(平成25年)4月には、この約束を果たすための計画が発表されましたが、6カ所の米軍基地の大部分は、県内の他の基地に機能(きのう)を移し、そのほとんどが2022年(平成34年)以降に返されるとされています。
しかしながら、これら二つの約束が果たされても、沖縄には、多くの米軍基地が残ります。そのため、知事と市町村長が協力して、日本政府とアメリカ政府に対し、米軍基地をできるだけ早く、そして少しでも減らしていくよう、求めているのです。
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