弥生~平安並行時代の沖縄

ページ番号1009724  更新日 2024年1月11日

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弥生~平安並行時代とは

縄文時代まで沖縄は本土に比較的近い社会でした。弥生時代に入ると本土では本格的な農耕社会が始まりますが、沖縄では狩猟採集社会が続きます。その結果、沖縄の独自色がはっきりしてくるのが弥生~平安並行時代です。この時代は大きく前半と後半に分けることができます。

弥生~平安並行時代前半

前半は本土でいう弥生時代の頃に当たります。この頃の土器は底が尖る形が特徴で、目立った装飾をもたない無文尖底土器が主なものとなります(写真1)。このスタイルの土器は縄文時代の土器を受け継いで登場した土器と考えられていますが、分布は沖縄本島とその周辺離島にしかみられません。

またこの時代の遺跡は、台地・丘陵上から海岸部へ移り(写真2)、狩りの道具である打製石鏃を作らなくなる、伐採・木工の道具である磨製石斧が少なくなるといった変化がみられます。しかし木の実や魚肉を磨り潰す敲石磨石類は縄文時代と変わらず使われています。多くの魚骨や貝殻も出土するので、海岸の近くを暮らしの中心とし、漁撈と植物食料の採集が日常生活の中心だったと想定されますが、食料の獲得にかなり苦労していた時期だったとする学説もあって実像はまだはっきり分かっていません。土器にみられる独自のスタイルや稲作を行わないなど、この時代の沖縄に独自色の強い文化が芽生えたことを物語ります。

写真:無文尖底土器
写真1 無文尖底土器(伊江村ナガラ西貝塚)
写真:遺跡景観
写真2 遺跡景観(国頭村宇佐浜B貝塚)

一方、弥生時代の九州では貝輪の素材として琉球列島に棲息するイモガイゴホウラの需要が高まります。これを背景に沖縄と九州の間に新たな交易関係が結ばれます。これは「貝の道」と呼ばれ、伊江島の具志原貝塚や本部町のアンチの上貝塚などで、交易用とみられる貝がまとめて置かれた貝集積遺構が検出されています(写真3)。また読谷村の中川原遺跡やうるま市の平敷屋トウバル遺跡、久米島町の清水貝塚などでは弥生土器や金属製品が出土し(写真4)、読谷村の木綿原遺跡では弥生文化の墓の形態である箱式石棺墓(写真5)も検出されていますので、「貝の道」を通じて沖縄に本土からのモノや情報がもたらされたことが分かります。この交易を通じて稲作のことも知っていたはずですが、今のところ稲作を行っていた証拠は見つかっていません。

写真:イモガイ集積
写真3 イモガイ集積(本部町瀬底島アンチの上貝塚)
写真:交易に関わる遺物
写真4 「貝の道」交易に関わる遺物(読谷村中川原貝塚)
写真:箱式石棺墓
写真5 箱式石棺墓(読谷村渡具知木綿原遺跡)

弥生~平安並行時代後半

後半は古墳時代から奈良・平安時代頃に当たります。遺跡は前半の頃と同じ海岸部だったり、内陸部へ移ったり統一的ではありません。明確にこの時期と言える遺跡は多くありませんが、うるま市の平敷屋トウバル遺跡などでは、無文尖底土器から奄美諸島の土器を受けて登場したと考えられるくびれ平底土器(写真6)に変わります。石器もさらに減少するなど、社会が変わりゆく様子が窺えます。

また弥生時代の終わり頃から九州の権力者たちの需要は、貝輪からこれを真似て作られた鍬形石や銅釧に変わります。この結果、沖縄産の貝は需要が低下することになり「貝の道」は衰退していきますが、奈良時代になると本土で螺鈿の原料となるヤコウガイの需要が生じ、奄美諸島を中心とした新たな「貝の道」交易が行われます。この頃から『続日本紀』などの文献に「南島」として琉球列島が登場するようになり、ヤコウガイ交易との関連性が指摘されています。しかし久米島を除いて沖縄が積極的に関わったのかは議論されるところです。

さらに時代が下って奈良・平安時代頃になると、那覇市の那崎原遺跡などで稲作の証拠が少しずつ見つかるようになります。さらに中国の銭貨である開元通寶(写真7)や長崎で生産される滑石製石鍋、徳之島で生産されるカムィヤキが沖縄の歴史上はじめて沖縄から先島までの各地の遺跡で出土するようになり、グスク時代への変革が加速していきます。

写真:平底土器
写真6 平底土器(糸満市真栄里遺跡)
写真:開元通寶
写真7 開元通寶(嘉手納町野国貝塚)

もっと詳しく知るために

  • 安里嗣淳 2011.6 『先史時代の沖縄』 南島文化叢書25 第一書房
  • 沖縄県文化振興会公文書管理部史料編集室 2003.12 『沖縄県史 各論編2 考古』 沖縄県教育委員会
  • 木下尚子 1996.3 『南島貝文化の研究 貝の道の考古学』 法政大学出版局
  • 木下尚子 2002.3 『先史琉球の生業と交易 6~7世紀の琉球列島における国家形成過程解明に向けた実証的研究』 熊本大学文学部木下研究室
  • 新里貴之 2008.8 「琉球縄文土器(後期)」 小林達雄編著『総覧 縄文土器』 アム・プロモーション
  • 高梨修 2005.5 『ヤコウガイの考古学』 ものが語る歴史10 同成社
  • 高宮廣衛 1999.1 『先史古代の沖縄』 南島文化叢書12 第一書房
  • 高宮廣衛・知念勇編 2004.5 『貝塚後期文化』 考古資料大観12 小学館
  • 藤本強 1988.10 『もう二つの日本文化』 東京大学出版会
  • 高宮広土 2005.3 『島の先史学 パラダイスではなかった沖縄諸島の先史時代』 ボーダーインク社
  • 高宮広土・伊藤慎二編 2011.3 『先史・原史時代の琉球列島 ヒトと景観』 考古学リーダー19 六一書房
  • 山里純一 1999.7 『古代日本と南島の交流』 吉川弘文館
  • 掲載写真原典 沖縄県文化振興会公文書管理部史料編集室編 2003.12 『沖縄県史 各論編2 考古』 沖縄県教育委員会

(2015年 大堀皓平)

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