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更新日:2019年3月31日

歴史概要(がいよう)

守礼門

首里城

守礼門(しゅれいもん)と首里城

昔、沖縄県は、琉球(りゅうきゅう)とよばれた一つの国でした。1429年、尚巴志(しょうはし)という人物が、各地の有力者(ゆうりょくしゃ)を一つにまとめました。

首里城を王国の中心とした琉球は、さかんに中国や日本、アジアの国々に出かけていき、たくさんの品物の売り買いを行いました。そのころの那覇の港は、海外から運ばれた物や外国人であふれたといわれます。この時代は「大交易時代(だいこうえきじだい)」とよばれています。琉球は、「レキオ」という名前で、ポルトガルの資料にも記録されています。

1609年、琉球は薩摩藩(さつまはん=今の鹿児島県)からの侵攻(しんこう)を受けます。ちょうど日本では、将軍(しょうぐん)を頂点とする国(江戸幕府)が始まったころでした。

この時代、琉球は日本文化のえいきょうを受けて、さらに特色ある文化を育てていきました。

明治時代になると、450年間続いた琉球王国はなくなり、琉球は沖縄県となりました。

太平洋戦争が終わりをむかえようとする、1945(昭和20)年3月、アメリカ軍が沖縄に上陸しました。はげしい戦いが行われ、沖縄に住んでいた人々約10万人をふくむ、たくさんの人たちが亡くなりました。これが「沖縄戦」です。

戦争が終わると、1972(昭和47)年5月15日に日本へ復帰(ふっき)するまで、沖縄はアメリカの統治(とうち)が27年間続きました。その間に米軍基地(べいぐんきち)が建設され、今もなお存在しています。

かつて琉球王国として栄えた歴史と文化は、今も私たちに受けつがれています。これからの明るい沖縄をつくるためにも、自分たちの歴史を知り、そこからたくさんのことを学びたいものです。

金城町の石畳 中城城跡の石門
琉球王国時代につくられた、
首里金城町の石畳道(いしだたみみち)

沖縄本島中部にある
中城城跡(なかぐすくじょうあと)の石門

海洋博覧会記念公園  
1975(昭和50)年の沖縄国際海洋博覧会(こくさいかいようはくらんかい)後につくられた記念公園

(当ページの写真提供:OCVB)

 

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知事公室広報課(代表)

〒900-8570 沖縄県那覇市泉崎1-2-2 行政棟5階(南側)

電話番号:098-866-2020