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更新日:2015年9月1日
遠くからのぞむ守礼門(しゅれいもん)と首里城(しゅりじょう)
昔、沖縄県は、琉球(りゅうきゅう)とよばれた一つの国でした。1429年、尚巴志(しょうはし)という人物が、各地の有力者を一つにまとめました。
首里城(しゅりじょう)を王国の中心とした琉球は、さかんに中国や日本、アジアの国々に出かけていき、たくさんの品物の売り買いを行ないました。そのころの那覇(なは)の港は、海外から運ばれた物や外国人であふれたといわれます。この時代は「大交易時代(だいこうえきじだい)」とよばれています。琉球は、「レキオ」という名前で、ポルトガルの資料にも記録されています。
1609年、琉球は薩摩藩(さつまはん=今の鹿児島県)からの侵こうを受けます。ちょうど日本では、将軍(しょうぐん)をちょう点とする国(江戸幕府)が始まったころでした。
この時代、琉球は日本文化のえいきょうを受けて、さらに特色ある文化を育てていきました。
明治時代になると、450年間続いた琉球王国はなくなり、琉球は沖縄県となりました。
太平洋戦争が終わりをむかえようとする、1945(昭和20)年3月、アメリカ軍が沖縄に上陸しました。はげしい戦いが行われ、沖縄に住んでいた人々約10万人をふくむ、たくさんの人たちがなくなりました。これが「沖縄戦」です。
戦争が終わると、1972(昭和47)年5月15日に日本へふっ帰するまで、沖縄はアメリカの統治(とうち)が27年間続きました。その間に米軍基地が建設され、今もなお存在しています。
かつて琉球王国として栄えた歴史と文化は、今も私たちに受けつがれています。これからの明るい沖縄をつくるためにも、自分たちの歴史を知り、そこからたくさんのことを学びたいものです。
琉球王国時代につくられた、金城町(きんじょうちょう)の石畳道(いしだたみみち)
沖縄本島中部にある中城城跡(なかぐすくじょうあと)の石門
1975(昭和50)年の、沖縄国際海洋はくらん会あとにつくられた記念公園
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