ホーム > 組織で探す > 文化観光スポーツ部 交流推進課 > 国際交流員(CIR) > 国際交流員の声(5月)
ここから本文です。
更新日:2021年6月2日
自己紹介させて頂きます。
皆さん、初めまして。ペルーから参りました、早川(ハヤカワ)アンドレアと申します。4月から、ペルー国際交流員として、沖縄県文化観光スポーツ部交流推進課に着任しています。
どうぞ宜しくお願い致します。
ペルー国際交流員として日本で働く機会を得たこと、それに採用されたウチナー・沖縄で人生経験が持てることが、さらに嬉しいです。理由は、複数あります。
私は、日系4世です。曾祖父が山口県で出生し、より良い未来を求めてペルーに移住しました。その後パン屋を開業し、ペルー人と結婚して、最後までペルーで暮らしました。
フジモリ大統領の任期時代に、私の両親が埼玉県に移住し、その2年後、七夕の7月7日私は、日本で生を受けました。
幼少期は日本で過ごし、学校生活を満喫して小学校を卒業しました。
その後家族皆でペルーに戻り、ペルーの北部にあるトルヒーヨ市で、新しい生活をすることになりました。
初めは大変でしたが、この経験のおかげで、日本とペルーの特徴をより深く知ることができ、双方の文化の豊かさに恋をし、両国と血の繋がりがあると考えるだけで、感情と誇りで満たされます。
大学では、インダストリアル・エンジニアリング、工学の一分野を勉強し、学位を持ち、5年近く銀行員としてペルーの銀行に勤めていましたが、私は引っ越しをした12歳頃から、心を半分日本に残した感じがしていました。そして、遠く離れていますが、移民歴史で関係は近い、日本とペルーの絆を強化する架け橋になれる仕事で働きたい夢を幼い頃から抱いていました。
沖縄県で勤務することが出来、日系人として、誇りであり喜びです。なぜなら、ペルーでは、70%以上の日系人が沖縄にルーツがあるからです。
沖縄は美しい海や気持ちの良い風景があるだけでなく、琉球王国という独立国であった為、独特な歴史を持ち、文化はさらに豊かであり、魅了されています。
前述した通り、私は、ペルーの北部にあるトルヒーヨ市から参りました。
トルヒーヨは、永遠の春の町とも知られている、「Huanchacho (ワンチャコ)」ビーチから30分離れている、「Marinera(マリネラ)」の踊りが有名で、世界遺産チャンチャン遺跡が近郊にある都市です。
チャンチャン遺跡は、日干しレンガ(泥)で出来た、アメリカ大陸で随一の大きさの遺跡です。世界では、2位です。
<トルヒーヨ市の位置>
<チャンチャン遺跡>
<トルヒーヨアルマス広場>
トルヒーヨのメイン広場です。
トルヒーヨ大聖堂 (カテドラル デ トルヒーヨ)とモヌメント ア ラ リベルタ(自由のモニュメント)を見ることが出来ます。
そうです。マチュピチュは、ペルーのクスコに位置しています。ペルー最大の貴重な文化遺産です。
2017年5月に訪ねる機会を得ました。感じたことは説明ができないほど素晴らしいです。ペルーに行く機会がれば、ぜひマチュピチュを訪ねてみて下さい。
<マチュピチュ 2017年>
ペルーは考古学的遺産が有名なだけではなく、美食でも知られています。多様な食材がある為、様々な料理を有しています。ここでお気に入りの2つを紹介します。じゃがいもで作られる「カウサデポヨ」とレモンと生魚で作られる「セビチェ」です。
<カウサデポヨ>
<セビチェ>
飲み物と言えば、紫色のトウモロコシで作られた典型的なチチャモラダがおすすめです。
<チチャモラダ>
そして、デザートと言えば、ペルー原産の果物「ルクマ」で作られたアイスです。
<ルクマ> <ルクマアイス>
JETプログラムを通じて沖縄県へ来た機会を活かし、全力で皆さんの期待に応えられるよう仕事をさせていただきたいと思います。
沖縄の文化をペルーの人達に知ってもらうことだけでなく、ウチナーの本質に通じるように、より深く学んで、沖縄とペルーがお互いに理解し、学んで、双方の文化をより良い文化に貢献させていただく足がかりになれるよう、頑張りたいと思います。
次の「国際交流員の声」もお楽しみに☆
お知らせ
お問い合わせ
より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください