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あの島に行かなければ手に入らないという幻をつくろう!そしてもう一つ始めたこと。これはもうよく僕は話してますので聞いている方多いと思いますが、小浜島でしか手に入らないという本を出すことにしました。これがその「南島詩人」という幻の本です。本当の幻になっちゃいました。もう絶版です。これはもうなくなりまして、どうしてもということで、昨年新しい改訂版を出しました。「7刷」って書いてます。7刷ってわかりますか。簡単に言うと、7,000冊ということですね。この本で小浜島から6,000冊出ていきました。6,000冊×2,000円をやってみてください。この本だけでです。ましや、小浜島でしか手に入らないという本。実は、後ろにこう書いてあるんです。「この詩集は、小浜島だけで販売しております。一般書店ではお求めになれません」と書いてます。だれが買うのかと、普通は思いますね。違うんですよ。ちょっとハードルあったほうがいいんです。なぜならば、幻の本をつくろうと思った。幻は何か。これ、重要なことですね。西表島という島があります。その島には、人がいっぱい集まる島だったんですよ。竹富島という島があります。この島もいっぱい人が集まる島です。僕は分析を始めたんです。一体、人が集まる島と集まらない島、何が違うのかと。簡単です。 竹富島は、こういうことをキャッチコピーにしました。「何もしないという開発をしよう」、今聞くとすばらしいですね。あの当時は非常に革新的なね。「何もしないという開発をしよう」。これ、合い言葉ですよ。一部我々の中では、「竹富町のユダヤ人」と言われておりまして、何もないところから、ゼロからこの「有」を生み出すのがうまい島なんです。これはほめ言葉ということですけれども。 めずらしいお坊さんがやっている博物館がありますね。不思議なものがいっぱいありますけれども、その中に馬の角とかそういうのがありますね。あり得ないですね。ですけれども、馬の角とぎらーっときれいに並べられているわけですよ。これを見にお客さんはまた集まるわけですけれども。 何もないところから生み出すのがうまい島。そして、何もしないで開発をしよう。すてきな、本当に僕はすごいと思いました。それで人が集まるんですから。 隣の西表島。「東洋のガラパゴス」、かっこいいですね。秘境、あの特別天然記念物・イリオモテヤマネコがいるという。東洋のガラパゴス西表島。皆さんもネコに会いにきませんか。何十万人と集まるわけなんですよ。 ところが、集まる何十万人だれ1人として生きたヤマネコを見た人がいないんです。 僕は思いました。そうか、本当はいないかもしれないな。でも、いる。たまたま通った写真をぱーんと撮って、鶏を襲っているネコを撮っている写真を、それをパンフレットに載せて、「あのネコがいる」と、例えば言ったとする。お客さんが来て、「ネコ会えないじゃないか」と文句言います。「ネコなんか出ないよ」と。島の人はにっこり笑って言うんです。「当たり前さー、特別天然記念物だのに。島の人でも簡単に見れんよ。とぉー兄さん、あんた会えるまできたらいいよー」、「はい、わかりました」リピーターになってくれる。 今、単純に言いましたけど、本当はこんなふうなことは西表島の人はやってませんけれども、僕はそう見えたんですよ。 なるほどと。大事なことは幻なんだなと。簡単にコンビニに並んでいるものでは駄目なんです。あの島に行かなければ手に入らないという幻をつくろう。 僕は、小浜島にある特別天然記念物と呼ばれるものをさがし始めましたが、小浜島にはどこにでもいる天然記念物はいるんですけど、特別なものがいないですよ。いないどころか、あえて特別にと青年会の会長が言われたのは、「うちの女性の会員が特別天然記念物だ」と言ってましたが、「なるほど」と。2、3年に1回替わる女性の先生。この方が特別天然記念物ということで、いつ、この天然記念物にめぐり会えるかという。本当にそういうふうなことを、お酒の席で笑いながら話してました。 そういう話を聞いたときに、なるほどと。僕は、つくるしかないなと思ったんです。じゃ、僕が芸の特別天然記念物になればいいということで、「南島詩人」という名前を語り出し、幻が必要だということで、この幻の本をつくったということなんですね。 考え方は、みーんな逆なんです。例えば援農隊と言わずに「援農塾」と呼ぶ。何で塾なんですか、自分さがしの旅だからさ。だって皆さん、キビ刈り3日やって、それで労働としてできるか。 うちのキビ刈りは1週間以上という、そういう取り決めが援農塾はあるんですよ。1週間以上休みとって来る人、普通はいないと思うじゃないですか。だから、続けるのが大事なんです。来たお客さんが、そんなことやっているんですか。2〜3年後に、ちょうどリフレッシュ休暇とか、ちょうど新しい新天地を求めて会社を辞めたというときに、心機一転でキビ刈りしに来るわけです。みんな、「お父さん、3年前に聞いたんですよ」と、来るんです。だから続けること大事なんですね、こういうことで言うと。 いまだに来てます。きょうもやってます。今、20名ぐらい来てます。ことしで10年目になりました。援農塾。名前を今「農場倶楽部」に変わってます。キビ刈りだけではもうからない。私がサトウキビを実際につくって体験したことです。感じたことです。 生産農家は、もっと賢くならないと駄目だと思いました。なぜならば、この畑から1年半かけてサトウキビ収穫しますね。例えばうちの畑、1反歩からよくとれて10tとれたとして、これがいいキビつくって当時は大体1万4,000円/t、5,000〜6,000円/tありましたので、10tですと1反歩が14〜16万円ぐらいお金が入ってくると。単純計算するとそうなります。 僕、考えたんですよ。輪作、間作ですね。何かいい方法ないか。いろいろやりました。ピーナツ、スイカ、かぼちゃ、インゲン、とにかくいろいろなことやったんですけれども、その中で一番ヒットしたのが黒ゴマだったんですね。 何が一番よかったかというと、僕はこう言ったんですよ。「黒ゴマどうだろうか」と言ったときに、おじいちゃんたちは目がキラーンと光ったんですよ。何だろうと思ったら、昔、黒ゴマを小浜島ではつくっていたんですね。「グマングアッコンという言葉知っているか?」と言うわけですよ。「グマングアッコンって何?」と言ったら、ゴマの後のアッコン、芋。「ゴマの後、芋はよくはえるということだよ。」島にこんな言葉があると言うんですよ。びっくりしました。つまり、土にもいいんだということですね。 ゴマをまきました。すごいんですよ、これが。何がすごいか。冬のキビ刈りのシーズンを終わると、ゴマのシーズンはちょうど5月から8月にかけてなんです。3カ月間で収穫できます。頑張ってやれば、4、5、6、7、8、9月でなんと二期作もできます。 おまけに、当時はまだ規制がゆるかったので、いわゆる有機農法関係ですね。2,000円/�圓如�我々黒ゴマを送ってました。うちのおやじは何て言ったか。「これはボーナスだな」と、「そうだよ」と。公務員、サラリーマンだけボーナスもらうのはおかしいと。「黒ゴマボーナス」と名づけまして、篤農家、一生懸命サトウキビをつくっている生産農家だけに、この黒ゴマの種を分けることにしました。20人ぐらいで黒ゴマ生産組合をつくりまして、組合長にはうちのおやじなりました。これ、しょうがないです。2,000円/�圓杷磴辰討�れるルートは私がさがしてきました。うちを通さないと、2,000円/�圓砲覆蕕覆い任后� きょう、関係者いらっしゃるかもしれませんけれども、もし農協さんがやったとする。もらう手取り大体800円か1,200円です。この現状を僕本当にわかってましたので、この1年半かけてキビをつくったこの畑、疲れ切った畑に黒ゴマをまく。 皆さんご存知のように、クロタラリアというのを普通まきますね。緑肥といわれているやつですよ。クロタラリアまいて、もしくはケシの花まいて、それでそのまますき起こしをして、堆肥化する。黒ゴマですね。体にいいって言われているじゃないですか。もちろん土にもいいわけですよ。このまま刈り取りします。刈り取りした後に根っこが残ります。葉っぱなんかぱらぱら落ちるわけです。根っこごとそのまんますき起こしします。なんと、これで土もよくなったんです。 おまけに、1年半かけてつくった畑に、次のまたキビをまく夏までの間に2回とります。なんと一反歩から、2,000円/�圓任垢�21万円の収穫の計算になります。1年半で14〜15、16万円。3カ月で同じ畑で21万円とれる。島の人はどれだけ喜んだかということですよ。 今、沖縄の「沖縄市場」という雑誌がありますが、その雑誌で昨年私の活動が載ってましたけれども、「サトウキビと黒ゴマの島」ということで、うちの父親のやっている生産組合のものが載っていました。いろいろな効果がある。これは、すべて交流の中から生まれてきたことなんですね。 ![]() 企画を考えた人がやらなければいけない島の人は、自分たちだけで島おこしやろうとしたら大間違いです。島の中から見える目線と、島の外から見てくれる目線というのはまた違います。島の外から見てくれる、そういう目線をいかに取り入れていくか。ですから、本土から嫁いできたお嫁さんがいるかもしれません。こういう人、大事です。外の目線で見てくれている。確かに環境関係とか、いろいろぶつかり合うこともあるかもしれません。ですが、それももしかすると一番大事なことを言ってくれているんじゃないかという。そういう思いも大事です。島の人はかたくなに、「ここから先は島の人しかわからんさー」と言いますけれども、そんなことありません。島の人が一番わからないことが多いんです。外からの目線をぜひ持つべきではないかと。そういう人たちと一緒につくっていくということをやらなければ、僕は本当の島おこしというのはできないんじゃないかという気がします。 勝連町も一緒ですね。アーティストで勝連町出身ではない僕に、「あのホールを任せよう」と言った。19億8,000万円のホールですよ。そのホールを、32歳の若造に任せる。これは、皆さん想像してください。自分の地域に新しく文化ホールができて、そのホールの館長をこういう若い人にさせようと、普通思いますか。よっぽど教育長の思い、町長の思いというものは賭けに近い、むしろ冒険に近い。そういう意味合いの中で、本当に期待をかけてやってくれたと思うんですよ。 どうするか。若い人であればあるほど、自分たちにこういうチャンスをくれた、この大人に応えていこうと絶対思います。絶対応えようと。何が何でもやってやると。こう思って、今のまちづくりも始めてたことなんです。 どうか、もし皆さんがそういう指導者、リーダーとして上に立っている者であるならば、そういうふうに光を当てる仕事、チャンスを与える仕事を思い切ってやってもらいたいと思います。「責任は俺がとるからやってみろ」と。「予算つけてあげる」と。そういうような気持ちでやってほしいと思いますし、もし現場で今、実際に生産農家として、島おこしの活動家として頑張っていらっしゃる皆さんであるならば、今度はすべての企画、すべての出来事、そういったものは、自分の中から、島の中から発見してくるということですね。頑張ってもらいたいと思います。 いろいろな施策を行政のほうからも出してくれます。国のほうも出します。なかなかこれ根づかない。なぜか、簡単です。施策を出した人が、実際にその施策に対して行わないからです。もっと言うならば、施策を出した方が、企画を考えた人がやらなければいけないんです。企画書というのは、本当はそういうものなんです。 じゃ、現実に言うならば、簡単に言うと、島に住んでいる人が企画書を書かないといけないということなんです。当たりまえのことですけれども、これができてない。 私は、援農塾はノー補助金イベントというのをずっとやって10年になります。私、役場に行きました。取り合ってくれなかった。もっと言うと、「企画書を書いて持ってこい」と言われました。残念ながら、今学校では企画書の書き方教えてくれません。企画書を書いてこい。かがみ文の意味がわからない。一般の町民や住民に対して、そういうことをもしするならば……。 僕は、もう悩みましたよ。何かないかなといって、お願いして友達の役場の人に企画書を、いわゆる要綱案とか、そういったものを1部コピーしてもらって、それを真似して書くことをやって、それで企画書の書き方を覚えました。 地域住民に企画書の書き方、もしわからないならば事業計画の立て方、もっと言うと、幾ら予算が必要なのか。むしろいらない予算があるんじゃないか。そういうことをぜひ教えてもらいたい。 僕は、本当に思いました。あのとき、もしその役場の中に熱い僕らの気持ちに、22歳の本当にピンピンはねて生意気な若者が来たら、だれだって嫌だと思いますけれども、しかしながら、そういうときにもしジョイント役としての職員が1人いれば、僕は今、八重山でもっと頑張っていたんじゃないかと思うこと真剣にあるんです。 そう思うと、「ホールの館長をやってみないか」と言われたときに、アーティストの仲間から言われました。「おまえ、公務員の仲間入りか」と言われたんです。僕、怒りました。「何言ってるんだ」と。「行政の人は、一生懸命働いている人は働いているんだ」と。「アーティストが自分の表現だけやっていて、まるで自己満足で何も地域貢献しないアーティストなんて、僕は認めないよ」と笑いました。 僕は、逆に言い返しました。「ホールの館長を僕はやるんだ」と。なぜならば、あのとき窓口にいてくれた人のような職員がもし1人でもいれば、勝連町も変わるかもしれないと思ったんですね。僕は、行政の側にも館長としております。そして、地域おこしのプランナーとして地域の中の住民の中にもいます。 きむたかホールを拠点にして、地域住民と語らい合うときには、この語らったものを上げるときにはボトムアップになりますし、そしてこの行政からこういうことをやりましょう。「グリーンツーリズムというものがあるんですよ」とやると、「グリーンツーリズムって何ですか」から始まって、いろいろなところでグリーンツーリズム説明する懇談会。意見も出ない、何かぴんとこないというところにトップダウンでやられたら、引くところに間に僕が入るわけです。入って、小浜島での活動の話をしてあげながら、「こういうのは、みんなでやらないと駄目なんだよ」って、夜、「乾杯」とやりながら。 僕、館長は週3日の契約です。月13日しか出ません。そのうちの半分はホールに泊まります。ホールに泊まって、ホールで地域住民と一緒に酒を飲みながら、歌いながら、子供たちの舞台の演技の練習をしながら、その中で5年後、「きむたか、阿麻和利、勝連」と三つのキーワードが、言葉が全国区になったらいいねという話をしながら、「平田さんいいな、乾杯」。これでやっていく中で、翌日、僕は酒の席で盛り上がったものを企画書にするわけなんです。事業計画を立てる。これを教育長に渡す。「教育長、こういう方法でいきましょう。地域の皆さんも頑張ると言ってます」、そうやって立ち上げながら、行政のお金を地域のこういう活動にも役立てる。 もっと言うと、3年目から阿麻和利の舞台はノー補助金でやっております。つまり、年間3,000万円ぐらいのお金をつくる団体は、NPOの団体としての今申請を行っておりますけれども、いわゆる補助金なしで50回の舞台をやっているという。ここにすごみがあるんです。そういう面で言うならば、どうか本当に大事な部分なんでぜひぜひ大事にしたいと思いますが。 ちょっと話は長くなりましたけれども、前半戦はお話を中心でやってほしいということございましたので、お話を中心にやっております。後半戦は、「肝高の阿麻和利」関係の活動の部分のお話をしながら、今やっている地域おこしのからくりと言いますか、皆さんに裏技を教えてみたいと思います。 |
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