「農村の魅力を活かす町づくり
〜安心院型グリーンツーリズムの推進〜」

                        大分県安心院(あじむ)町商工歓交課
                        グリーンツーリズム推進係長 河野 洋一

かわの よういち
河野 洋一

大分県安心院(あじむ)町
商工歓交課
グリーンツーリズム推進係長


「心」をもった町で歓んで交わりたい

 安心院(あんしんいん)と書いて、「あじむ」と読ませるわけですけども、誰も読めないですね。今、全国に、市町村というのは約3,200ほど有るわけですが、そのなかで、唯一、町名に「心」という字がつくんです。全国の市町村の中で「心」という字がつく町は無いんですね。ですから、うちの町ではこの町名に負けない「心」、それから、農業農村という「農」、その「農」と「心」を大切にした交流を展開していきたい、ということで今、グリーン・ツーリズムに取り組んでいるわけでございます。
 それから、「商工歓交課」という「歓交」の字が違うわけでございます。従来は「光を観る」という「観光」の字なんですが、平成13年4月にグリーン・ツーリズムの係を商工観光課の中に設けた時に、私は、観光とグリーン・ツーリズムは全然違うものだという意識が非常に強かったものですから、観光の中にこの係を設けられることに非常に疑問を思って、観光と交流の頭文字で、「観交課」としたらどうでしょうか、という提案を町長にしたところ、町長も「それはいいな」ということになりました。さらに、ある大学教授が、どうせなら「観」の字は「歓」にかえたらどうですか、という提案をまた町長にしたところ、「そらまたいいな」と。非常にその、やさしい町長でございますから…。“歓んで交わる” というのは、今からは従来のような団体で、何かを見るとか、マスツーリズムという多くが押し寄せるとか、そういう観光のやり方ではなくて、「体験型」「交流型」、こういったものが重視されるわけですから、来ていただく方、そして迎えるほう共に、交流を通じて喜びを感じあえるようなお付き合い、そしてお手伝いそういうものが出来ればいいなという想いから、この「歓交」という字にかえたわけです。「歓交」と書くとですね、ちょっといやらしいとかいろいろ言われましたが、今となれば本当に「歓んで交わる」ことが大事になるし、インパクトのある課名かなと思ってます。
 そして、その中に「グリーンツーリズム推進係」というのを設けたんです。全国で初めてです。こういう係を作ったときに、住民は何で今更こういう係が要るのかと、苦情の電話が町長室にあったそうなんですけど、3年が経過した今では、苦情は何もない状態になってます。そのくらいこの「グリーン・ツーリズム」というのが、農村の施策として有効であると認めていただいています。そしてまた安心院という町を価値ある町にしていくという中で、やはり組織の中にちゃんとグリーンツーリズムという係が出来たということで町外へのPR、それから町内に住む住民のグリーン・ツーリズムに対する認知度、全ての面でプラスに作用しているという状況でございます。

何故、今、グリーンツーリズムか?

 農業は町の基幹産業ということなんですけども、本当に農業は基幹産業なのか、地域経済にどの程度の影響を与えているのかというと、本当にこれはもう微々たるものなんです。ただ、農村であり、農業をやってきたからそれが基幹産業であるというような状態です。安心院は米、ブドウ、それから肉用牛の繁殖とか肥育、まあそういったものが主なんですが、昔はたとえば辛抱して米を作れば、どうにか子供を学校にやれるなんていう時代もあったわけなんですけども、ご存じのとおり米というのは非常に価格も低迷しておりますし、生産調整という中で、減反もたくさんしなければならないという状況で、非常に厳しいわけです。当然その間、米を作りながら会社に勤めるとか、働きに行くというような兼業というのも進んできたわけなんですけども、なかなか今までやってきた形態を変えようとしないんです。収入が減っても辛抱して生きていこうという体質があります。しかし、農業を取り巻く情勢というのは、農産物が輸入自由化とか国際的にも変わってきている訳です。外からの米も入ってくるわけですから、今までのようにただ土から物を作り、農協とかの市場を通じて売るというやり方だけでは、これから先いつか行き詰まるんです。だからこそ、自分が今やっている農業に自信を持って、自信を持って作った物を自分の手で販売したりとか、交流の中で農産物の良さを分かっていただくとか、農村の魅力を分かって頂くなんていうやり方が非常に、重要になってきているわけです。
 従来の町づくりは、より便利に、より都市的な機能を農村に持ってこようとしたわけです。それが過疎対策ということで、過疎からの脱却と言いながら色んな施設を作ったり、道路を立派にしたり、小さな村や町でも工業・工場を誘致してみたりしたんですけども、それが飛躍的に人口増に結びついているかというと、まったくそういった事は無いわけです。地方中核都市への通勤可能圏のベットタウンとか、大学が出来た、大きな病院が来た、こういう町以外は殆どの町で人口が減っていっているわけです。ですから、グリーン・ツーリズムという言葉がでる前から、人口の増えない農山村においては都市と農村が交流していくことが非常に重要なんだと、言われてきたわけなんですが、なかなか有効な交流の手段というのが分からなかった。そういう時期もございました。ですからうちは、農業が基幹産業といいながら非常に厳しい状況に在るわけですから、農業を守ろう、農村を守ろう、その為に何をしたらいいのか、その様な危機感からのスタートだったんです。田舎だからこそ出来る、農業しているからこそできる、農村だからこそ出来るものは何か、という時に、グリーン・ツーリズムしか無いんじゃなかろうかということになって、このグリーン・ツーリズムの取り組みを始めたんです。

グリーンツーリズムの息吹き

 安心院町の位置は大分県の国東半島の付け根で別府、湯布院という九州を代表するような、観光地の北側に位置する、まあ控えめな町なんです。町の面積は、147kuぐらいの純農村であります。町では、平成4年に「アグリツーリズム研究会」というのが出来たんです。自分の農業に観光農園とか産地直売とか、そういったものを取り入れていこうということで本当に数人が研究し始めたんです。だから役場の中においてもこういう組織があるという事も分からないぐらいの小さな組織だったんです。あくまでも、アグリツーリズムですから、農業を主体にしたツーリズムを考えていこうという事だったんですけれども、すぐ行き詰まるわけです。小さな町で農業やってる者だけでツーリズムを考えていこうよといっても、全然輪が広がっていかないんです。その後随分と時間は経つんですが、平成8年3月に「安心院町グリーンツーリズム研究会」と名前を変えたわけです。「アグリ」から「グリーン」に変えた、ということは、“農業だけ”というこだわりを捨てて、「グリーン」ですから、自然とか、環境とか、農村全体を巻き込んだ「町づくり」としてのツーリズムを研究していこうと再度、立ち上がったわけです。これは住民主導型と言えようかと思うんですが、そこに、行政も支援を始めたわけです。平成8年度に入ってから、「グリーン・ツーリズムモデル整備構想」というものを作りまして、農水省から、モデル地域としての指定を受け、そういう取り組みを行いました。
 それから、今思えば、一番大きな力になったのは町の議会なんです。この議会のなかに「グリーンツーリズム特別委員会」というのが平成9年度に設けられたんです。町の議会議員の方というのは、土木建築業の方とかがわりと多いわけですから、校舎を建て替えるとか、道路を良くするとか、なんか施設を作ることに非常に賛成するんですけども、なかなかこのグリーン・ツーリズムというのを理解してくれません。私が考えるグリーン・ツーリズムというのは、ソフト重視ですから、何か物を作るというんじゃなくて、いかに知恵を絞って農村にあるものを活用するかということでございますから、そういったものを議会の中で特別委員会まで作るなんて普通考えられなかったんです。しかし、たまたま選挙後で新人の議員さんが4名ほどおったんですが、そういった方が農業出身の議員さんとかを巻き込みながら、「農業」プラス「グリーン・ツーリズム」で新しい農村経営というものを考えていったらどうかなということになりました。やはりこういう意識の高い議員がいたお陰で特別委員会まで出来てしまいました。できたら最後ですね。一年間勉強、調査研究をして報告書を提案してきたんです。その報告書の中に、一つ宣言をしたらどうかというのがあって、こういう宣言をする町も無いでしょうけども、全国に先駆けて、平成9年度の3月議会で、「グリーンツーリズム取組宣言」というものを宣言したわけです。これによって、グリーン・ツーリズムを町の重要な施策として位置付ける、そして町をあげて長期的に取り組んでいくんだということを宣言してしまいました。
 そして、同年10月には行政が事務局となった、「グリーンツーリズム推進協議会」を立ち上げました。会長は町長です。その中には議会、農業委員会とか、農協、青年団、青年農業者会議、婦人会、商工会、観光協会、ありとあらゆる町づくりとして関連するような団体のトップの人が入っています。行政が事務局をする協議会だと、民間を引っ張るとかそういう事も考えられるんですがうちの町では、住民自らがグリーン・ツーリズムを研究していこうという組織が出来ているわけですから、これを側面的に支援していこう、あるいは下から支えようという位置付けでこの協議会を作ったわけです。そして、各種団体や各地域のトップの方に入って頂いているわけですから、それぞれの組織の中でこのグリーン・ツーリズムというこの運動・事業を、普及していただきたい。この二つの想いで協議会を立ち上げました。 

住民主体の活動と役場の取り組み

 こうしてみると、うちの町にグリーン・ツーリズムという風が吹いたのは平成8年からなんです。わずか一年半の間に体制作りが出来ました。宣言したり、推進協議会を作ったりしたんですけども、大事なのは体制を作れば良いという事ではありません。いかに行政側が、民間に人の面でのサポートをしていくか、これが一番大事なんです。知恵を絞りながら一緒にやっていく体制、人としてのサポート出来る体制を作っていくかということの方が大事だったんです。町づくりは住民主導型が望ましいとこう言われていますが、住民主導型であろうと行政主導型であろうと、どちらでもいいんです。要は、住民主体型に移行していく事が大事なんですね。なかなか、住民自らがこういうものをやって行こうという雰囲気にはならないかも知れませんが、こういう時には行政側がグリーン・ツーリズムという考え方があるんだと、エコ・ツーリズムという考え方があるんだと、今からの町づくりには、特に農村や漁村ではこういう考え方が必要なんだということを知らしめながら、一つ組織を作りませんかという動きをしていく事が大事です。最終的には、住民が楽しく動ける、何か行政の言うことばっかり聞いてやるという事ではなくて、住民が楽しみながらやって行けるという体制に持っていくことが大事です。住民主体型ということが一つのポイントです。
 住民主導であればあるで欠点があり、当初この研究会を作ったときに、田舎の者というものはこれを褒めないです。「凄いことをやり始めたね」なんて言うのはなかなか言わない。「何か変わった事をし始じめた組織がある」という目で見てしまう。これが一般の住民の目だけならいいんですけど、行政サイドもそういう目で見てたんです。そんなに深く関わらんで良かろう、たまに推進協議会を開けばいいと、こういうやり方だったものですから、なかなか官民連携・共同という風になって無かったんです。平成11年4月以降、企画調整課企画係で町の過疎計画を作る時期でしたが、その一部でグリーン・ツーリズムを担当しろという事になりまして、たまたま私が担当したんです。その時に、一生懸命頑張る地域住民からは行政は何もしない、してくれないという声がどんどん聞こえてくる訳です。町をあげてグリーン・ツーリズムに取り組むという宣言をしている訳ですから、担当になった職員が迷う必要は無い訳で一生懸命頑張らなきゃしょうがない訳です。前向きに進めるために変えたのが窓口を一本化したことです。今までは、グリーン・ツーリズムと言えば、グリーンツーリズム研究会のメンバーが一番詳しかった。行政は例えば何か問い合わせがあっても、「詳しくはグリーンツーリズム研究会に聞いてください」なんてこういう対応をしてた訳です。それを変えたんです。視察であろうと取材であろうと、問い合わせ全てに行政が的確な回答が出来るように変えました。最初、グリーンツーリズム研究会は、「自分達がやるんだ、行政には頼りたくない」と言ってたんですが、今からの町づくりというのは、官がどうとか、民がどうとかという時代ではないんです。いかにパートナーシップををとって一緒にやって行くか、これがやはり大事なんです。やろうとする地域住民がおれば、当然役場の職員はそこに力を貸して当たり前なんです。役場というのはそれぞれの小さな地域の中で一番お金も集まる場所です。人も集まる場所です。情報も集まる場所ですから、この役場が動かずして、町づくりなんか出来るはずないんです。だから、自分なりにグリーン・ツーリズムが詳しいわけでも何でも無かったんですけど、勉強して対応出来るようにしました。またこっちが対応するという事は、ちゃんと研究会がやってる事を理解していくということですから、行政側も民間がやっている事をしっかりと認め、認知しなければなりません。それによって、民間側も今までは頼りたくないとかそういう気だったんですけども、やっぱ行政の持っている力をうまく活用すれば、やろうとした何倍もの事が出来るということに気づき始めるんです。すると今まで行政に頼らんとか言ってきた事が馬鹿みたいになるんです。やっぱり一緒に手を組みながら住民のやる気のある組織と行政が一つになって、やる事が今からの町づくり、グリーン・ツーリズムもそうですけど町づくりには大事になってくるのです。
 そういった双方の関係づくりを平成11年から12年にかけてやってきたんです。すると、12年ぐらいから評価され始めまして「安心院では民間が先にやり始めた事を上手く行政がバックアップしながら一緒にやっている。これは凄いな」というようなことで、随分と視察の方も増えたりしながら推進してきた訳です。その結果、日本で初めて平成13年4月にこの「グリーンツーリズム推進係」というものを設置するに至ったわけであります。
 もう一度整理すると、住民主導型でありましたけどもちゃんとそこにサポートする体制とサポート出来る担当者が必要です。そういう関係の中で、グリーン・ツーリズムは前進していくんだ、そしてグリーン・ツーリズムが前進することによって安心院という町が前進していくんだという意識で、頑張ることが大事なんです。

グリーン・ツーリズムは町づくり

 うちの町は、人口約8,600名なんです。中山間地域という場所でございますし、九州の中で例えば車で二時間半で福岡まで着くという位置ですから、グリーン・ツーリズムにしても対象を何処に持っていくのかということを考えると、大都市福岡というのが一番大きなターゲットになるわけです。また、それ以外には、例えば修学旅行とかを受け入れる、そういったことにも取り組んでおります。基本的にどういうような考え方でグリーン・ツーリズムをやっているのかという事を少し話しますが、グリーン・ツーリズムというのは、うちの場合農業からでした。農業守ろう、農村を守ろうと。よそでは観光の面から観光の切り口からグリーン・ツーリズムやろうととこもございますけども、やればやるほど気付くんですが、グリーン・ツーリズムは「町づくり」です。当然、農業とか漁業とか第一産業、そういったものがあることによって、あるからこそ農村・漁村がある訳ですから、そういう第一産業は大事ですが、それだけじゃないですね。地域に人が来るという事はその町のお土産を買って帰ってくれたり、飲食店で食事をしてくれたりとか、まあ中には旅館やホテルに泊まるという方もおるでしょう。ですから、商工業者もこれ関係あることなんですね。ですから他の産業とグリーン・ツーリズムは必ず一体でなければいけないという事ですね。
 それから環境です。都市農村交流というと外との付き合いになるわけですけども、実はこれ一番良い地域を見つめ直す機会です。自分の家にお客さんが来る時に散らかしっぱなしにはしないはずです。家を片づけたりするのと一緒です。自分達が心地よく暮らせる村や町であれば来た方にも心地良さを与えるはずなんです。だから、農村にある自然、環境、文化財を守る、また一番簡単なことは町に落ちてるゴミを拾うとかそういう事もグリーン・ツーリズムに結びつく訳です。町をきれいにすることもグリーン・ツーリズムなんです。
 それから、教育的な活用が出来ます。総合的な学習の時間とか、体験学習も非常に必要という事です。沖縄にも沢山修学旅行とか来てると思いますけれども、そういう中でグリーン・ツーリズムとかエコ・ツーリズムなんていうのは非常に活用できるわけです。ですから、教育との連携もこれは可能になるわけです。
 さらに、直売所とか農泊とかありますけれども、お年寄りの方が非常に元気になったり、ご婦人の方が非常に元気になったりするんです。ですからこれは、社会教育の面とか福祉の面にも結び付きが出来る訳ですね。そう考えていくと産業、環境、福祉とか教育とかもう全てです。全てを一体的に取り込んでグリーン・ツーリズムというのは推進していくべきものだということになります。ですから、グリーン・ツーリズムは町づくりなのです。

対等な交流「対流」を進めよう

 大事な事は、「対等な交流」をしなければならないという事です。来ていただいた方とその後の付き合いが出来るというようなモニターツアーであれば良いんですが、モニターツアーをやっても大体は、単発的なんです。格安で来て頂く、大都市から来て頂くんだけど、その場限り。うちはスッポンが有名ですから、スッポン食べていただいて、ブドウ狩りしてブドウ差し上げて、アンケート書いていただく。アンケートには「良い町だ」とか、「スッポンが思ったより美味しかった」とか、こういうこと書いてくれるんですけれども、それだけなんです。その後の付き合いなんか全然出来てないんですね。これは何でかというと、農村側は大都市の人と思って至れり尽くせりやって、また来ていただきたいという思いはあるんですけれども、来る都市住民はたまたま格安のツアーがあったからなんです。「人から誘われた」、「安いツアーがあるよ」、それだけなんです。仮に違う町でこういうツアーをすると今度はそっちに行ってみようという風になるわけです。だから、そういうモニターツアーを何回やっても、これは「対等」ではない、どっちかと言うと都市が一段上です。迎え入れる農村が「交流疲れ」という言葉があるように、至れり尽くせりした割に人は来てくれない。こういう風な状況になるわけですね。
 今都会の生活の中で無くしているものって言うのはたくさんあります。「環境」という問題があります。それから、「食の安全性」「人の優しさ」「コミュニティー」そういうものは都会では無くなっています。しかし、農村の生活の中にはまだそれがあるからこそ、それを求めに来るわけです。
 農村側も無くしているものがあります。例えば農業が厳しい、経済収入か減ったいうこともそう。それから何よりも無くしているものは地域に対する誇りです。「田舎には何もない」「農業はきつい割に儲からん」「人口は増えんからもう町は発展しない」こういう風に非常にマイナスに地域をとらえているんです。いくら隣近所のおじいちゃんおあばちゃんと、会合を持って話しをしても、そこからプラスの発想は生まれてきません。みんなそう思っている訳ですから。儲かっても儲からんという世界ですから、そうなんです。だからそこに180度環境の違う視点で農村を見れる方と交流すると、違う農村の良さを見つけていってくれるわけです。すると何もない思っていた農村には都会の人を感動させるものがいっぱいあるんだという事にやっと気付くんです。きついきついと思ってやってきた農業だけれども、自分で作ったものをそこで調理して食べられる幸せとか、命を支えるのは「食」であり、食の原点は農村や農業にあるんだという事を都会の人から言われれば、「ああ、農業ってそんなものなのか」「やっぱ重要な仕事なんだな」と気づくんです。自分達はいつも当たり前すぎて良さに気付かなかったけど、都市の人と交流することによって、農村のもつ良さとか、農業という職業の素晴らしさとかいうのを今やっと分かってきた訳なんです。
 だからそのようにお互いが無くしているもの、無くしかけているものを農村を舞台に、交流をすることによってお互い補完し合うんです。一時期かも知れないけども、補完し合う。そしてそこからお互い農村の良さ、都市の良さを学び合う様な関係、これが対等な交流なんです。ですから、お客さんお客さんという扱いじゃなくて、うちの町では『遠い親戚』と言ってるんです。来て頂いた時はもう『遠い親戚』ですよと。だからもう親戚のようなつもりで、ほんと対等にお付き合いしましょう。当然おもてなしの心とかそういうのは大事にしますけれども、変にお客さん扱いしない。ですから『消費者対生産者』とか、『ホスト対ゲスト』とかそういう関係ではなくて、僅か一泊二日、二泊三日という短期間かも知れないけども、あなたも農村に来たら私もあなたも同じ『農村での生活者』ですよという、そういう視点でのお付き合いをしましょうという事です。『消費者対生産者』じゃないんです。『お客さん対主人』じゃないんですね。『一緒の生活』なんですよと、そういう付き合いをしましょうという風にうちではやっております。 

女性の力、老人の技、子供の誇り

 それからグリーン・ツーリズムはですね絶対女性の力が必要なんです。やっぱりもてなしの主役は女性。それと結構高齢者の方の知恵とか技とかそういったものが活用されます。女性の元気な所ほど町に活気があると言われています。グリーン・ツーリズム、都市農村交流は、女性の力を全面に出す非常に良い取り組みの一つだろうと思います。
 それから、子供たちに農村に対する誇りの気持ちを与えたということです。私がそうです。私の両親は専業農家ですが、小さいときから農業のいいところは何かと聞いても、「人から使われないのはいいけどもきつい割には儲からない」と、いつも言っていました。ですから、親は知らず知らずに子供に都会に出す教育をしていたのではないかと思うのです。「都会に出ろ」とは言わないですが、「農業はだめだ、きつい」とか、「田舎には何もない」ということを聞きながら育った子供は、都会が一番いいところだと思い、月々給料をもらうことが最高の職業だと思ってしまうわけです。そうじゃなくて、この交流によって、大人たちが自分の地域に誇りを持つ、自分の地域には都会の人たちをすごく感動させるものがいっぱいあるということ、「これも資源なんだ、あれも資源なんだ」と気付いたときには、それを子供にもちゃんと口で伝えなくてはならないということです。「あなたは田舎に産まれてきたかもしれないけど、田舎にはこういう良さがある」「漁業や農業にはこんな良さがあると」、子供の時から親がちゃんと口で教育しとかなければならないということです。親の『後ろ姿』とか、『言わずにわかる』なんていうことは今、通用しません。ちゃんと口で子供に説明しなければなりません。しかしながら、状況が状況ですから、農業を継げということも言えませんし、田舎で就職しろと言ってもなかなかありません。しかし、大事なのは、そういう子供たちが都会に出ても、自分には誇れるべき農村、安心院があるのだと、誇れるべき沖縄があるのだということが言える子供になるかどうかが大事なことなのです。子供が農村の良さを知っておくと、都会に行っても、例えば、週末に家に帰ろうとか、故郷の両親のことが気になるとか、ある程度仕事をして田舎に帰ってみようかとか、退職したら戻ろうかとか、そういう気持ちができると思うのです。それを誇りも持たずに、都市が一番素晴らしいところだと思いながら子供たちが都市に出ていくと、農村にも帰ってこないということがあるわけです。今、大事なのは、何のために都市農村交流をしているかというと、人として田舎の良さしか知らない大人とか、都会の良さしか、悪さしか知らない大人というのではなくて、双方の良いところ、悪いところを理解し合うような人を増やしていこうということなのです。
 これを今、『都市と農村との共生と対流』といっています。お互いの良さを理解し合うことによって、農村も都市も一緒に生きていくのだと。そして、相互行き来するなかで、経済的な活性を図っていこうというのがあります。小泉内閣の骨太の方針は7つあるらしいのですが、農村をうたったものは一つしかないそうです。あとは都市的なものばかりだそうです。一つうたったものが、この『共生と対流』です。今、オーライ!ニッポンという国民会議が立ち上がってます。そのくらい、今からの農村は、ただ物を作る、そして、市場を通して売るというのではなくて、自分が作った物を自分で自信を持って売ったりとか、そこには人とのふれあいがあって、その農家のおじさん、おばさんのファンになったり、その地域のファンになるような人口を増やしていくということも考えていかなければならないのではないかということなのです。だから、農業というのは、生産というだけではなくて、いろいろな多面的な機能があるわけですから、フルに活用する、観光に活かしてもいいわけですし、いろいろな面との連携を図りながらやっていくことが大事になると思っています。
 それによって、交流することで農村側は精神的に潤うのです。そして、お金も頂けるようなシステムを作れば、経済的な効果も生まれるということです。それがひいては、農村という安心院の価値を高めることにつながっていくという考えで、わたしたちはグリーン・ツーリズムを推進しています。 

安心院型グリーン・ツーリズムの取り組み

 安心院方式などといわれているのですが、一つはグリーンツーリズム研究会という組織があり、町のなか全てを巻き込んだような推進協議会があり、そして行政の機構のなかにグリーンツーリズム推進係があるというのは、なかなかよそにはないのです。そういう官民が連携してグリーン・ツーリズムを推進していこうというこの体制が一つの安心院方式であります。
 それから、もう一つは、会員制農村民泊という取り組みなのです。農村民泊というのは、普通の農家に人を泊めるということなのですが、今、日本でグリーン・ツーリズムといったときには、非常に広い範囲でグリーン・ツーリズムといわれています。例えば、農家に泊まる農泊とか、農家レストラン、直売所、日帰りの農業体験、ふるさと小包を都会の人に送ってあげること、この全て含めて、グリーン・ツーリズムと日本ではいっているのです。ヨーロッパのドイツへ行ったときに、シャーマン夫人という方がいて、その方はドイツの先駆者らしいのですが、ドイツでグリーン・ツーリズムといえば何ですか?と質問したところ、3つしかないといわれました。1つは、農家民泊です。2つ目は、農家レストランです。3つ目は、その地域に来て、人が滞在することによって、その地域の特徴とかおいしいものがわかる、するとそういった人が、帰るときにお土産で買って帰るとか、年間契約するということですから、日本でいえば、農家の農産物を買って帰るとか、直売所で新鮮な野菜を買って帰るということでしょうか。ですから、農家民泊、農家レストラン、直売所、この3つがグリーン・ツーリズムだといっているわけです。そう見たときに、何が一番ポイントが大きいのかというと、やっぱり農家民泊なのです。農家に泊めるといってもべッド&ブレイクファーストといって、ベッドと朝食の提供だけなのです。夕食は、その町内の農家レストランで食べていただくということで、それによって農家の負担も少なくなるし、地域の食材を使ったレストランも繁盛するということで、泊まるからこそ農家レストランも潤う、なおかつ、向こうでは長く滞在するわけですから、農家に泊まりながら、その地域のおいしい物を買って帰ったり、見つけたりするということです。すると、やはり滞在するということは、非常にウエイトが大きいのです。農水省もいってますが、グリーンツーリズムとは『緑豊かな農山漁村において、その地域にある自然とか文化とか、人々との交流を楽しむ滞在型余暇活動』といっております。ですから、滞在するからこそ、例えば泊まっていただければ、宿泊料や食事代がかかったり、そのお金以上にお土産を買ったりするわけですから、日帰りでちょっと農業体験をして帰るというのとは違うのです。だから、私たちは、農家民泊というものを取り組んでみようという風になってきたわけなのです。
 しかし、農家民泊は、日本ではなかなか簡単に始められないのです。旅館業法という法律があったり、食品衛生法、建築基準法、それから消防法、いろいろな法律の縛りがあるものですから、簡単にできないのです。それを一つ一つクリアしていくためには、やはり大きな資金投資が必要であったりするわけです。具体的にどういうことかというと、施設規模で一番大きな物は、ホテルなのです。これは概ね洋室で9u以上の部屋を10室以上あるのがホテルといわれるものです。概ね和室で7u以上の部屋を5室以上、これが旅館といわれるものです。その下に、簡易宿所営業というものがありまして、33u以上(畳でいうと20畳くらい)あれば、許可をだすというのが法律上あるわけです。
 では、農家民泊というのも簡易宿所に当てはめてくれればいいと思うのですが、ほとんどの県では、簡易宿所というのは、山登りするときに途中で寝泊まりする山小屋とか、鉱山で働く方が寝泊まりするような飯場的なものとか、このように非常に条件の不利な場所とか、一部のものに限り、この簡易宿所営業を当てはめる、というわけです。それは当然です。自分の家が畳20畳確保できるから許可をくれといってどんどん許可を与えていたら、旅館やホテルとの兼ね合い、民宿との兼ね合いもありますし、そういうことはできない、なおかつ、今まで民家に人を泊めるというのが日本の中ではなかったものですから、そういう需要がなかったのです。ですから、農家に人を泊めてお金を頂くのであれば、旅館のレベルをクリアしなさいといわれていたのです。客室を5部屋作りなさい、民宿経営をしなさいということです。しかし、農業が厳しいから、グリーン・ツーリズムをやろう、農泊をやろうとしたときに、客室を5部屋作るためには、1千万円とかの投資がいるわけです。それから煩雑な手続きもいるわけですから、絶対に普通の農家ではできないのです。よっぽど、家か何かを持ってて、退職金を利用してやるとか、そういう人なら別でしょうけども、私たちの考え方である、主は農業とか自分の生活、従の部分で農泊をしたいというときには、日本の法律を変えていただかなければ農家民泊に取り組めないという状況だったのです。

会員制農泊の取り組み

 そこで、会員制というやり方を取ったのです。旅館業法で旅館やホテルというのは不特定多数の方をお泊めする業なのです。ですから、お客様を選ぶことはできないのです。泊まりたいという方がいれば、どうぞと言って泊めなければならないのです。不特定の方を泊めるのが旅館やホテルですから、特定のものを泊めるシステムを作ろうということで、会員カードを発行して会員さんをお泊めするというやり方にしたのです。名刺大のカードがあって、裏にスタンプを10個押せるようになってるのですが、会員になるということは一番最初の部分に判を1個押し、それで会員になっていただいて泊まっていただくということです。だから、一泊することが1個の印鑑になるのです。先ほども言ったように、会員になっていただければ、そこでもう、『遠い親戚』と言っているのです。10個スタンプが貯まると、『本当の親戚』と言っているのです。嬉しくもないでしょうけども『親戚の証』という表彰状を用意したり、これまた迷惑な話でしょうけど冠婚葬祭のご案内をしましょう、とそういったことまでやっているのです。
 しかし、これは嘘じゃないのです。東京にいる私の宅の親戚さえ年に一度も帰ってきませんが、この町に来て農泊が良かった、町が良かったとなれば、年に二回くらい来るわけです。来れば二泊、三泊したりしますから、2、3年すれば、『本当の親戚』になっているわけで、今20人くらい『本当の親戚』がおります。
 こういう方法でやってきたのですが、最初は目立たなかったから良かったのです。しかし、目立つようになってきたのです。行政もちゃんと支援しだしてきたので、平成11年、平成12年くらいから非常に目立つようになったのです。しかも、泊まった方からの評判も非常に良かったのです。そして、大学教授とかいろいろな方が調査に来て、安心院のやり方しかないとこう言うのです。普通の農家や民家の方がやろうとするには、安心院のような会員制のやり方しかない、そうじゃなければ先ほど言ったように5部屋、客室を作ったりしなければならないし、料理をだすのであれば別に台所を作らないといけないということになりますから、安心院のやり方しかないのだということを随分、方々でで言ってくれたり、新聞記事になったりするので目立ってくるわけです。目立ってきたために保健所からだめと言われたのです。大分県は、会員制という曖昧な(会員制ならいいという法的な根拠もない、ただ独自の解釈で、不特定じゃなく特定の人を泊めるというグレーな)やり方ではだめだといってきました。これが民宿であれば、1軒に問題があれば、1軒を行政処分というか営業停止とかすればいいわけで、他の民宿には影響を及ばさないですみます。しかし、安心院の場合、グリーンツーリズム研究会と、行政が支援しながら、会員制をやっているため、1軒に問題があれば、この仕組み自体がだめになるわけです。それを支援してた安心院町役場の行政責任も大きいからちゃんと許可を取ってやるようにしなさいと、こういうことを県から言われたのですが、私たちはそれを変えなかったのです。なぜなら今までやってきたことが、後戻りするからです。結局、民宿経営をしている人でなければ、農家に人を泊められないと、民宿経営しながら、農業体験、漁業体験と結びつけてやることを、日本ではグリーン・ツーリズムと言っていたのです。そこにまた戻るわけです。そうではなく私たちは、この方法が良くないかもしれないけども、一つの事業として今からもやっていくというスタンスを変えなかったのです。
 農泊をしている農家は、どこにでもあるような普通の家なのです。それぞれが「舟板昔話の家」とか、「龍泉亭」とか「キッチンガーデン佐藤」とか家に名前をつけながら、最初は遊び心でやってきたのです。「いちごや」さんとか、「やわらかまんじゅう」、という新しい家でもできるのです。決して、古い昔ながらの立派な民家じゃなければできないというのではなくて、新しい家でももてなしの心があれば、都会の方を受け入れて、交流をしましょうというやり方をしてます。本当にこれは普通の家です。だから、改造も何もしてないということです。お金をかけずに空いた部屋に泊まっていただくということです。親戚が田舎に帰ったときに、二間続きの部屋とかに泊まるのと一緒なのです。そういうやり方を私たちはやっているわけです。これが会員制農家民泊といわれるものです。なかには囲炉裏があったりして、若い女性にも大人気になってますが、こういう旅のスタイル、農家に来て何か体験しながらとか、生活しながら楽しむ、ゆっくり過ごすというこのスタイルも、徐々にですけれども増えてきているわけであります。

農村生活を楽しむドイツの農家

 研究会では無尽講方式により毎年、ドイツに行っていますが、それはなんでかというとグリーン・ツーリズムの先進地だからです。やはり、ドイツ、フランス、イタリア、イギリスとか、こういったヨーロッパがグリーン・ツーリズムの先進地なのです。ですから、安心院でグリーン・ツーリズムをするときに、やはり歴史のあるドイツを見に行こうということで、毎年1回ドイツに行っています。この無尽講方式というのは、最初に私たちはグリーン・ツーリズムのツアーを来年のいついつやるのだと、そこに積み立てをしませんかと会員を募集するわけです。すると、70人くらいが、じゃあ自分も積み立てをしましょうということで、月々4千円を5ヶ年、積み立てるのです。すると、満了時には24万円。24万円あればドイツに行って帰ってこれるのです。食事も何もかも入れてそのくらいなのですが、満了5年でお金が貯まってから行こうという仕組みではないのです。例えば、自分が1年間積み立てた、すると自分のお金は4万8千円です。ドイツに行くためには19万2千円足りないのですけれども、今年なら行けるとか、来年なら行けるとかいう人がいますから、1年でも、自分の4万8千円、足りない19万2千円はみなさんが積み立てたお金を先に利用させていただくというやり方です。行って、帰ってきて残りの4年間、月々4千円が引き落とされれば、それが返済になると、こういう仕組み、これが無尽講方式なのです。ですから、月々4千円、5ヶ年積み立てる、少しずつだけれども行ける者からドイツに行って来ようというシステムがこの無尽講方式といわれるものです。8年連続、約90名が実際に自分の目でドイツを見てきています。私も2年か3年前に行ったのですが、これは再確認の旅です。グリーン・ツーリズムに取り組む仕事は間違いじゃないな、ということに気付きます。ドイツというのは、非常にゴミが落ちてないです。農村に行っても、非常にきれいにしています。そして、自分の家をきれいに花で飾り付けたりしています。それは国を挙げて、「わが村は美しく」というコンクールがあるのです。小さな村も、そこに参加するのです。すると参加するだけで、連帯意識が生まれる、なおかつ、そこで優勝すれば、地域に対する誇りが生まれますし、またグリーン・ツーリズムが発展するのです。そういう農村を見に行こうというところから、都市部の人がまたその農村に押しかけて、農泊したり、農家レストランを利用したりしながら、泊まっていくということです。ドイツは、その町の景観とか、農村空間整備、これに非常に力をいれております。安心院はなかなかそういう真似はできませんけれども、農村空間を整備することで、人を呼べるという、一つのいいお手本じゃないかということで、ドイツにいつも行っています。
 ドイツでは、農家の方が非常に生活を楽しんでいます。70歳くらいのイゼールさんという方、腕相撲しても負けるくらい大きな手で、すごい力ですけども、そういった方も夕食後、みんなが集まれるような町のサロンで、ギターを弾いたり、酒を酌み交わしながら踊ったりして、非常に自分の生活を楽しんでいます。私の両親を見たときに、生活を楽しむというよりも一生懸命働くことが美徳だというようなところがあって、辛抱して一生懸命働くことが農家の生活なのだと思っていましたが、「ここは違う。一生懸命働くことは働くけど、自分の時間だとか、自分が楽しむ術というのは身につけている」と思うわけです。それもやはり、その地域のつきあいだけとか、親戚づきあいだけだと、そういう発想にはならないのです。ドイツの方々は、農村に若い人を受け入れたり、都会から人が来ることによって、やっぱり自分も生活を楽しむということを、交流するなかで身につけてくるわけです。だから、農業を誇りもって頑張る、しかし夜は自分の時間を楽しもうとか、休みにはどこかに行こうとか、お洒落なスタイルというのを、ドイツの農家では確立できています。ですから、交流が非常に農村に新しい発想や考え方をもたらすというのをドイツで感じました。 

地域づくりの取り組みはいろいろ

 「行きつけの農家を作ろう」というキャッチフレーズで、日帰りの農業体験をやっています。
 「祇園坊(ぎおんぼう)講演会」では、環境とかグリーン・ツーリズムとか農業とか、そういう専門家を呼んで講演会をするのですが、そのときに「祇園坊」という柿の苗を配るのです。昔は、柿といえば、農村でも普通に道ばたにいっぱいあったのですけれども、道路が拡幅されて木を切られたりするなかで柿が見られなくなりました。だから、もう一度柿の見える町を取り戻そうということで、柿の苗を配ったりしながら景観づくりにも努めています。こういったこともやっています。
 「ツーリズム・シンポジウム」、当然、啓発です。バーナード・レーンというイギリスの方で、グリーン・ツーリズムの権威といわれている方ですが、湯布院と合同で来ていただいて、私たちで、バーナード・レーン先生のシンポジウムを開いたりと、こういったこともやっております。
 「リバーサイド・ウォーク」、単純なもので、都会の子供を交えながら一緒に川を歩くのです。そして、何でこの川が大事なのか、自然が大事なのか、というのを専門家を雇って、一緒に河原で話し合いしたりとか、ある場所で一緒に食事をとったりしながら、自然の大切さというのを見つめ直すというような運動もやっております。
 「全国藁こづみ大会」、なじみがないでしょうけども、田んぼに稲わらを乾燥させて積み上げ、田んぼで保存するのです。それを大分では、「わらこづみ」といいます。これは、農村の冬の風物詩といわれるくらい農村の景観にマッチしていたのですが、これが今なくなっているのです。今一度、藁こづみを後世に伝えようという想いで、これをイベントにしたのです。だから、従来のようにきれいに積み重ねるといったもの、それから、せっかくだから創作部門ということで、ワインボトルの形をしたものとか、イチロー選手とか、そういったものをつくるイベントをしました。これは、非常に地味です。田んぼでやりますし、地味ですが、稲わらというものの価値というものを見直すいい機会になるのです。不要なものではないのです。畳の中に敷き込まれたり、牛の貴重な飼料であったりとか、いろいろな役割があると、なおかつ気付くのは、藁こづみ一つとっても、自分の町とちょっと離れた町では形が違うのです。ですから、日本中いろいろな藁こづみがあるはずだということで、例えば、静岡とか、愛媛とか、鳥取とか、滋賀県とか、そういう農家の方に来ていただいて、安心院の田んぼにその地域独特の藁こづみを作ることによって、たかが藁こづみかもしれないけれども、やはり、農村文化があるのだなというのをそこで感じていただくという、地味ですけども、非常に評価が高いイベントになりつつあります。

修学旅行を地域で受け入れ農家時間体験を

 私たちの町では、民宿に泊めるわけではないですから、農家の家に人を泊めるとなれば、1軒当たり5〜6人くらいです。ですから、多くの子供を受け入れるには、多くの協力家庭が必要になるわけです。ですから、あまり体験学習というのはやっていなかったのですけど、平成12年に私が担当になってから、県内の大分商業という高校から、320名を、80人ずつ4回に分けて1泊2日受け入れたのです。それが非常に好評だったので、それから徐々に体験学習を受入れようということで始めたのです。
 平成14年に始めて、180名の修学旅行を受け入れたのです。私たちのところは、1回当たり80名が最高だったので、どうしようかと思ったのですけども、見切り発車。修学旅行というのは、ご存じのとおり、2年前くらいから話があるものですから、2年あればどうにかなるという気持ちで、では受け入れましょうということで、この時、埼玉県立新座高校というところを受け入れました。すると、40軒くらいの家庭、今いつでも受け入れが出来る家庭は15軒なのですが、これ以外にも協力をお願いして、180名受け入れることが出来ました。40軒が協力してくれました。これでどういうことが起きるのかというと、沖縄の場合は非常に修学旅行生が多いですが、東京の生徒に希望をとらせれば、遠くて海のあるところに行きたい、そうなれば、北海道か沖縄、8割方がそうです。そして今こういう修学旅行で、多分、どこかを観るとかだけではなくて、何かを体験させるということが沖縄でもやられているのだと思います。これは農作業だけではなくて、沖縄にはいろいろな資源がありますから、平和的な学習もそうでしょうし、海というのもございますし、それは何をその体験に利用させるかというのは、それぞれの地域が考えればいいことなのですけれども、私たちの場合、農村の生活そのものを体験させることとしました。
 学校の要望というのは、みんなで稲刈りとかを午前中して、午後、5班くらいに分けて、例えば、自分でしたいものを選ばせて、竹籠づくりとか、草木染めとか、そういうプログラムを用意してくれというのです。私はそういうことをしなかったのです。みんな仲良くするということを、みんな一緒にするようなことを、わざわざ農村ですることが修学旅行の目的でしょうか?と。みんな仲良くは学校でやればいいことであって、修学旅行というのは、学校で体験できないことを学ばせる。となれば、みんな仲良く稲刈りをしたり、なにか決められたメニューにそって生活をするのではなくて、農家に預けた2泊3日の間、農家時間で動いてもらいました。学校は何時から何とかいいますけど、そういうことは全くない、農家時間で動くのです。農家のおじさん、おばさんが、かっこよく言えば、インストラクターです。それからもう、家族の一員です。ですから、メニューは全部、農家が考えるのです。当然、その説明会は致します。だから、変にメニュー化して何をさせるというのではなくて、メニューのないメニューというか、プログラムのないプログラム作り、2泊3日、農村生活を体験する旅であるわけです。農家に入り込んでするということです。これが今、逆に受け入れられているのです。
 この学校の修学旅行は4泊5日で、前半2泊には安心院で泊まる、後半2泊は大阪でユニバーサルスタジオと海遊館です。すると、新幹線で小倉まで来て、小倉からバスで1時間半かけて私たちの公民館で歓迎式をするのですが、生徒の表情を想像できるでしょう。いやそうな顔をしてるのです。ふてくされてるのです。それはそうでしょう、何で修学旅行でこんな田舎に来なければいけないのか、でしょう。したこともない農業をしなければいけないのか、泊まりはホテルか旅館かと思えば、見ず知らずのおじさん、おばさんの家だとなると、子供たちからすれば一番苦手な空間に放り込まれたわけです。だから、ふてくされてるのです。でも、私が担当でしたから、早く大阪に行きたいのもわかるけれども、せっかく2泊3日というなかなか普通のものが出来ないような修学旅行の体験を安心院でするのだから、意味があるものにするのもしないのも自分の心が決めるよ、自分が楽しもうと思えばすごい2泊3日になると、あとはそういいながら、農家に分かれていきました。
 そして、2泊3日、農家で過ごして、又ここの同じ場所でお別れ式をするのです。するとどうなるかというと、化粧した子供が泣くのです。高校生の涙は、最初、大分商業を受け入れたときに知ってたのですが、今回、声を上げて泣いたのです。涙、涙のお別れです。一番いやがってた子供たちが、こんなに涙を流しながら、お別れするという、これはなんででしょうか?
 今から、修学旅行も考えなくてはならないのは、安心院のことがここに当てはまるのかどうかは別ですけども、ただなにかを観るとかだけではだめなのです。何か体験したというだけではだめなのです。農業体験したからでの涙ではないのです。農村体験をしたからでの涙ではないのです。わずか2泊3日かもしれないけども、農家の生活に入り込むことによって、今、失われている、例えば、化粧をした子供、頭を染めた子供、スカートが短い子供というのは、やっぱり、一つの自己主張です。私の存在ここにあり、というのを格好でやっているわけです。今、子供たちが求めているのは、友達同士です。自分のことは友達が一番よく知ってるくらいに思っています。親とは、あまり話をしない、一緒に食事をしないとか、1日2食とか、コンビニの弁当とファーストフードと言うのです。しかし、まだまだ農村の生活の中には、ちゃんと日に3度の食事があるのです。しかも、自分でとったものを料理して食べれるといったすばらしさがある、そして、農村の生活の中では、化粧は不要です。例えば、5人の女の子に仕事を与えたときに、ちゃんとこなせば、農家のおじさん、おばさんは、すごいじゃないのと認めるのです。○○ちゃん、すごいじゃない、やれば出来るじゃないの、と。ご飯も食べれないと言うんだけれども、食べてごらん、一緒に用意したものだから、食べたら、美味しい、おかわりしたと、そのように人を認めたり、構ったりしてあげる優しさというのが、まだ農村にはあるのです。すると、自分も小さい頃は、家庭の中でお父さん、お母さんと仲良く話をしたりとか、そういう時期もあったはずなのですけど、今はそういう会話がない、やっても農村に来て、いやだ、いやだと思いながら来た農村で、こんなに自分のことを認めてくれたり、優しくしてくれる方がいるのだということが、子供の心を動かすわけです。ですから、ホテルに泊まって何か一つだけ体験するということも、ひとつの修学旅行かもしれないですけども、ぜひとも、こういう普通の農家に泊まる、農家じゃなく民家でもいいのです。民家に泊まるということを、取り込むことが出来れば人気がでてきます。私たちのところで今、どういうことが起こっているのかというと、これが今非常に好評なのです。だから、どんどん問い合わせがあるのです。けど、悲しいことにいつでも、1週間に1、2回くらい、200人いつでも受け入れられる態勢が出来ていればいいのですが、なかなかその度にこの15軒以外の農家を探さなければいけないのですから、そこまで、なってないのです。だから、無理はあまりしてません。今年は、春に2校、秋に2校受け入れます。その程度にとどめています。だから、私たちの課題としては、まだまだ農泊の家が広がれば、一つの産業になります。
 これは、年間の活動を「心のせんたく」という冊子にまとめているのです。だから、何でもかんでもやりっぱなしというわけではなくて、やってきたことをきちんと整理しながら、次へのステップアップを図るということも大事です。
 「グリーン・ツーリズムマップ」という、上等なものでもありませんが、15軒を紹介するマップを作りながら、PRをしております。
 それから、「クリーン&グリーン、日本一きれいなまちづくり運動」、毎月第3日曜日をきれいなまちづくりの日というふうに定めています。そして、10分でもいいから、自分の敷地をでて、道路のゴミや、公共用地のゴミを拾おうという運動をやっています。町長が防災無線で呼びかけるというやり方でやっています。これは一つのステップです。これが定着していけば、みんなで花を植えることとか、そういう意識になるのではないか、ということで、きれいなまちづくり運動をやっています。だから、きれいな町をつくることもグリーン・ツーリズムなのだということとか、この認識を住民の方に植え付けたいという意味もあって、これをやっています。

グリーンツーリズムは感動産業!

 農泊とは、空いている部屋で行うのであって、お金をかけないということです。基本的に夕食はださないと言っています。それはなんでかというと、町内にレストランとか旅館とかがあるからそこで食べてくれ、そうしたら、そこにも潤いがあるじゃないか、という考えです。しかし、リピーターとかになれば、農家で夕食を食べたい、とこう言いますから、8割方はやっぱり農家で夕食ということになってしまいます。1日1組、忙しければ断れる、忙しければ無理して受け入れなくてもいいわけです。ということは、今は少し変わってますが、宿泊代のうち、大人1人200円をグリーンツーリズム研究会の会の運営の方に還元したりしている、そういうこともやったりしています。
 お金をかけないということは、非常にいいのです。もし、仮に1千万円投資して、私たちの町に15軒の民宿ができたというときには、これはもう、競争になります。よそより、うちにお客様が来ていただきたい、自分が投資した1千万円を取り戻したいという気持ちになりますから、よそよりもお客様をもらおうとか、そういう奪い合いとか、秘密とか、そういう風になるのですが、お金をかけてないものですから、うちではこうしたら喜んでくれたよとか、今こういう料理を出すんだよとか、そういうネットワークとか非常にうまくいくのです。1軒1軒、違う個性があります。統一したことをしてくれとは、決めてません。自分が得意なものでもてなしましょう。だから、私たちの町の特色は、農家じゃなければ農泊は出来ないのかではないのです。田舎ですから、誰もが家庭菜園とか持っていますが、ご夫婦とも学校の先生だったという方でも始められるのです。だから、先生は先生の得意なところを活かせばいい、例えば、名所や旧跡の案内とか、そういうのは学校の先生ですから、非常に得意だと思います。仮にそこに泊まった方が、本格的な農業体験をしたいとなれば、他のメンバーのところに一緒に行ってやればいいわけです。なにもかも、自分で出来なければだめということではないのです。できないことは、カバーしあいながらやっていこうというのが、私たちのやり方です。確実なリピーターをつくります。これはもう絶対です。大人数来るわけではないのですが、リピーターが必ずつきます。
 それから、やると女性の方や高齢者の方が、自信にあふれてきます。奥さんは、きれいになります。例えば、65歳の女性がいるとします。この65歳の女性は、グリーン・ツーリズムに出会わなければ、ご夫婦2人になって、ああ、きつかった、農業はそんなに儲からなかったなあと、舅や姑に仕えて本当に厳しくされたなあなんて思いながら、たまに旅行に行くというスタイルなのです。しかし今、自分の生活の中に都会の方を入れることで、自分がグリーン・ツーリズムをするがために学んできたことではないですが、自給自足的なことや、ちゃんと人のもてなしをするということを舅や姑から教わった厳しいと思ってきたことが今、全部役立っているわけです。自分がきついと思っていた農業もこんなに喜んでくれる、何もないと思っていたこの農村の生活にいっぱいの人々が喜んでくれるとなれば、その人の65年の人生そのものを肯定してくれるということと一緒なのです。生きてて良かったではないですけども、農家に嫁に来て今が一番幸せだと言っています。その横でご主人が俺との50年は何だったんだと言いますけども、本当にそう言っているのです。それから、毎日、知的な刺激を受けると言っています。農家にいながらにして、いろいろな世代の知恵が自分の頭に入ってくるわけですから、自分が歳をとる暇がないと言っています。すると、自分が認められて、自分がすること全部誉めてくれるということは、すごいなあ、おもしろいなあとなるのです。すると、奥さんがきれいになります。それから、人を迎え入れるということは、例えば、奥さんが非常にニコニコして、いらっしゃいと言っても、奥でご主人がぶすっとしていたら、こなければ良かったという気になるのですけども、人を迎え入れるときは必ず、ご主人もニコニコしてくるのです。おじいさん、おばあさんがおれば、おじいさん、おばあさんも役目ができてくるのです。ご飯食べて、水戸黄門を見て寝る生活をしてたのが、お客様が来れば、おじいさん、おばあさんの話が聞きたいということで、一緒に茶の間を囲めるようになるのです。すると、おじいさん、おばあさんが、自分を必要としてくれる人がいるんだということで、ボケが良くなったりするという例もあるのです。だから、人を受け入れることで、家族仲も良くなります。これは、いろいろな効果があるのです。
 最後にここに書いてありますが、「感動産業」と。(グリーン・ツーリズムは)農村側にも感動をくれます。都市側にも感動を与えます。産業にはまだなっていないですけども。本当にこの感動という言葉がグリーン・ツーリズムにはうまくマッチすると思っております。

安心院が県を動かし、国を動かした

 それで先程から申し上げていた会員制農泊というやり方をしてきていたのですけども、目立つようになってだめだ、といわれました。今まで事故もなかったし、周りは応援して下さっていた強みもあって、うちのやり方を貫いていくということになったのですが、結局最後は大分県が「だめだというのは簡単かも知れないけど、県なりに知恵を絞ろうじゃないか」と、いうことで変わってきたのがこれであります。今までは客室を5部屋以上作らなければいけない、といっていたのがですね、こういう風に簡易宿所営業として認めようということを言い始めたわけです。これは法律を変えたわけでもなんでもないんですね。県の条例を当たったわけでもなんでもないんです。こういう通知文によって運用を明確化したと、県からすればそうですね。我々からすると運用上の緩和ということですけども、大分県からすれば運用を明確化したと、こういっております。ポイントは2つ。簡易宿所営業として認めると。これは平成14年3月28日に出された通知ですけれども、平成13年の9月に(こういった農泊が)悪い悪いと(保健所が)いうのはいいけれども実際どういう事をしているのか保健所の人は知らないわけですね。「農泊って何」、「グリーン・ツーリズムってどういうことだ」ということを知らないわけです。「法律上に当てはめるところがないからだめだ」といっていたわけです。「だから旅館のレベルをクリアしろ」と。それはいいのですが、「何をやっているのか 調べて頂きたい」(といって)11軒調べてもらったんですね。どこにお客さんを泊めているのか、部屋の面積を測ったり、どういうもてなしをしているとか、全部調査してもらいました。するとですね、8畳二間の部屋などがありますね。そこにひなたぼっこが出来るような縁側がついているわけです。。そこも客室としてカウントしてくれる。そうやってひなたぼっこが出来る様な縁側もカウントした場合、11軒とも、33u以上面積が確保できたわけです。ですから元々法律にある簡易宿所営業をいままでは山小屋などといったところにしか認めていなかったけれども、大分県については農家に宿泊することを簡易宿所営業として認めようじゃないか、ということを言い始めた。これは大きな事です。これによって、客室5部屋の改造が無用になったということですから、600万、1,000万という投資をせずに今ある農家で出来るということなんですね。これがそのままここに当てはまるかというと違いますけどね。大分でもこういう動きがあるから、沖縄でも考えていただけないかという提案にはなりますね。一つは実際に例があるわけですから。
 そして(ポイントの)二つ目。食品衛生法。お客線に食品を出すとなればですね、別に台所がいるわけです。そして飲食店営業の許可が必要になります。しかしですね、それを!"#、と区分しています。!、は素泊まり。素泊まりは当然飲食物は扱いませんから、許可も台所もいりません。"、は自炊。泊まったお客さんが自分で農家の台所で料理を作って食べるのであれば許可はいらない。従来はこの!"だったんです。そこに#、という考え方をくっつけたんです。#、は何かというと、飲食物を農家と一緒に調理する、そして一緒に食べる、というやり方なんですね。これを体験型という風に区分して、こういうやり方をするのであれば(調理用のもう一つの)台所はいらない、飲食店の許可もいらないよ、と大分県が言い始めたんです。ですから、グレーといわれたやり方に限りなく近い形で(このような営業を)大分県が認めた。やはりこれは、民間、行政、役場、住民一緒になって取り組んできたからこそ、大分県がそれを認めたということなんですね。ですから今これは大分方式といわれています。そしてこの大分方式によってですね、安心院が許可を取り、この中の14軒が許可を取っているわけですが、(こういった簡易宿所)が今大分には60箇所ぐらいありますね。お客さんがいるかいないかはちょっとわかりませんけれども。そういう風に広がっています。そして構造改革特区で岩手県等が農泊の規制緩和と、いたるところからグリーン・ツーリズムの緩和という話が出てきたのですけれども、実際農泊に取り組んでいる町はあるのかということで、大分安心院の例を特区の中の委員の前でお話しするという機会も頂いたわけです。それによって、今、農泊というものが非常にグリーン・ツーリズムにおいて大切なんだという認識を国にも与えているわけですね。そういったことが資料として、「安心院をモデルに営業基準を緩和した」9頁ですね。それからその後ろに、「大分方式が全国基準になった」(という記事もあります。)これは先程申し上げたとおり33uという面積要件、これが今は要らない(という風になっています)。8畳二間でも(お客さんを)泊められますよ、という風にですね、国が法律を変えたんです。ですから、安心院がやってきたことを県が認め、国が認め、動くという、あまりない例ですね。今まではトップダウンですよね。国から県に来て、市町村、それから住民に流すというのが(普通の行政の流れだったんです)。でも、頑張れば県を動かし、国を動かし、認められるということも出来るのかな、という一つの大きな力や自信を農村に頂いたいい例ではないかという風に思います。

グリーンツーリズムはお金のかからない施策

 こうやってグリーン・ツーリズムをやってきて、何が良かったのか、どういった効果があったのかというのを少し話します。今までの町づくりでは、隣の町にもあるような施設がうちにも欲しい。住民も隣の集落の道路が良くなれば、うちの道路もよくして欲しい、こういう「無い物ねだり」の要求だったのですが、都市と交流するようになってやっと気づいたのが、無い物ねだりではなくて地域にあるものをいかに活用するか、これにこそ価値があるんだということに今やっと気づき始めたんです。地域にあるものを活かす事に価値があるということに気づくということは、安心院に対する誇りが生まれているということです。そして自分自身も輝いているということです。そうやって心が精神的に変化してきたというのは非常に大きな効果なんです。
 それからグリーン・ツーリズムを頑張るということは、まちがPRされるということなんです。お金を出して新聞に載せて頂くとかテレビに出して頂くとなると、何億というお金になるんですけど、グリーン・ツーリズムを頑張ることで(メディア)がうちの町を取材してくれたりとか、テレビにも出して頂いたりとかそういう中で、「これがグリーン・ツーリズムか」と誰もが思うんです。でも違うんですね。グリーン・ツーリズムをきっかけにして、この安心院という町が価値があるとか有名になるとかという形でまち全体がPRされると考えなければだめなんですね。だいたいは「グリーン・ツーリズムか」という目で見られるわけです。ですけれども、まちのPRに最高の効果を上げている。地域にあるものを活かすわけですから。田んぼであったり、地域の自然であったり、農家の家であったり、その農家に住むおじちゃんおばちゃんであったりするわけですから、新たに開発する等ということは要りません。新たに人が泊まる宿泊施設などというものも不要です。ですからうちのグリーン・ツーリズムはハード事業は不要ですね。ソフト事業だけでこのグリーン・ツーリズムを推進しているといえます。本当にお金のかからない施策であるとこういう事が言えるわけです。
 まだまだ話すことはいっぱいあるんですけども、時間の都合がございますので、もし何か皆さんからご質問などございましたら5分くらいの間でお答えしたいと思います。ご清聴有り難うございました。
(質問者)
 グリーンツーリズムを始め、農業主体に始められてきて、それを農村全体にということで進められてきたということなんですけれども、役場が支援をするときに、農業関係の課と商工関係の課だととか農業委員会、教育委員会だとかの連携が必要になってきたと思うんですけども、どのように連携を取られたのでしょうか。また、安心院町だけじゃなくって県の方が進めるときにもそういう農業関係の部と商工関係の部との連携が取られてきたと思うんですけどもどのように進められたんでしょうか。
(河野)
 多くの市町村では農業関係の所でグリーン・ツーリズムをもっていると思います。安心院町では私が以前から担当させていただきましたが、企画係という地域づくりの部署がそのグリーン・ツーリズムを担当しておりました。しかし、そこに補助事業、たとえばソフト事業をいただくとなると農政課です。農政の方がその事業についてのみは担当してたんです。ただ、推進とか協議会開くとかPRとかについては企画調整課の企画係の方が担当していた。だから二つの流れの中でやってまして、最初の時期には観光の方と関係があったかというとそうでもない。教育委員会と関係があったかというとそうでもないんです。ただ、企画にいたものですから町の計画の中にもグリーンツーリズムを組み込めたし、企画係の仕事っていうのは各課との連携が必ず必要になってきますからそういう部分でこっちが「お宅も無関係じゃないんで」とそういうやり方をしながら少しずつ理解をしていただくよう行動を取ってきたわけです。それが今、グリーン・ツーリズムという係ができた事によってすべて私が持っているわけですね。事業も私です。それから農政課がしてきたこと、企画がしてきたことも全部私の方でやっています。残念なことにですね、さっききれいなまちづくり運動するとかいうことを提案してもですね、提案した者がしなきゃならないというのが行政にはありますね。「グリーン・ツーリズムの主管課の方がそれを考えて提案したのだからお前の所でやればいいんだ」と、こういう考え方なんです。しかしこれもおかしいんですね。こういう考え方は。まちを綺麗にするにはその役場の中にそういう係がおるんですから人ごとじゃないんでと。あんた方も一緒にやらにゃいかんのでという、そういう風にこっちが手を引っ張らなきゃしょうがないんですね。教育委員会だってそうです。どうぞ地域の総合学習にグリーン・ツーリズムを利用してくれと活用してくれといっても向こうは無関心なんです。こっちが校長の集まりの時にいって話したりする中で「グリーン・ツーリズムと教育の連携もできるんだ」ということを分かってもらうというか、そういうことをやりながらですけども。
 だから、結局は誰が動くかということなんですね。具体的に動かないといかんということです。あの人に任せておけば、向こうの係がしてくれるだろうでは町が伸びていく訳がないんですから。市町村は住民に一番近い公務員ですからね。そこの担当の意識が変わらない限り、まちづくりというものは前向きに伸びていきません。ですから、そういうキーマンがいなければ自分がキーマンにならなければしょうがないじゃないかという意識で動くことが大事じゃないかなと思います。
 答えにはならないですけどもすべてうまくいっている訳じゃないです。こっちが手を引っ張りながら一緒にやっていこうという体制を努力しながら作っています。
 県の方は、以前は営農指導課、今それが「むらづくり推進室」というのができてグリーン・ツーリズムはそこの担当と行っています。町と県の観光振興課とはタイアップしてやっているかというと年に何回か、モニターツアー的なものをやってくれんか、という話があるぐらいで、直接的には関係ありません。役場と県とは村づくり推進室との関係ということになります
(質問者)
 大変すばらしいお話どうもありがとうございました。
 一点お伺いしたいのですが、グリーン・ツーリズムが安心院で広がってきて、若い方との交流も非常に多いと言うことですが、そういった方々が将来的に安心院に移り住むというようなことについて何か視野に入れて考えていらっしゃるのかどうか一つ教えていただきたいと思います。これは特に沖縄県の場合ですと農業者が減少しているという問題がございまして、新規就農者の一つのその増加のきっかけに、もしかしたら繋がらないかという視点も込めてお尋ねいたします。よろしくお願いいたします。
(河野)
 定住人口が増えない時代において、交流人口の拡大が定住人口に結びつけばいいという考えがありますが、私はこれは別と思いますね。現実的には。まぁ中にはいますよ。安心院の農泊が良くって、会社やめて安心院に来て自分も農泊を始めたなんていう方もいます。いますがそれはごく一人、一人だけです。自分の癒しとかそういうのを求めて来る旅として安心院に来ても、そこでじゃあその町が好きになったから生活しようと人というのはなかなか出てこないですね。
 実際、農村っていうのは都会の生活を捨ててまで生活していける場所なのかどうか、そういう仕事があるのかっていうのが一番大きな問題です。交流人口が増えたから定住人口にうまく結びつけばいいんだけど現実的にはそれは不可能なところが多いですね。
 ただうちの町は新規就農者支援事業というのをやってまして、例えば大阪や東京でそういう説明会をすることで平成2年以降、本日までに23組の新規就農者の受け入れをしております。大分県の中で安心院が一番受け入れ数が多いんですね。何でかというとですね一つは町名らしいんですね。安心院という町名がやっぱ安心という字が付いてるように、「何か安心して住める場所じゃないんかなぁ」ということでやっぱここに来るらしいんですね。それからしっかりした、指導体制ができている。また、一番先に来た方の経営がうまくいっている、ということですね。平成2年以降二組ずつぐらい来てですね、今23組、逆にこういう方々が地域の農業を支えていくというふうな状況にもなっているんですね。
 普通の農家は当たり前、人並みであれば良いんだけれども、そういう人は人並みじゃ駄目なんです。より研究して沢山収入をあげよう。もっと儲けようもっと省力化しようと一所懸命になりますから逆にそういう人が中核的な農業経営者になっているという例もあります。交流人口を定住人口に結びつけるというのは難しいですね。





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