沖縄県の縄文時代

ページ番号1009719  更新日 2024年1月11日

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沖縄県の縄文時代は約6700年前から約2300年前まで続き、狩りや漁撈、木の実や果実を採って生活(狩猟採集)をしていたと言われています。特に沖縄県は九州と近いということもあり、縄文時代から九州との交流が盛んであったと考えられています。

縄文時代は、粘土で土器を作り、生活していました。この土器は時間の経過とともに形や文様などが変化していきます。縄文時代はこの土器の移り変わりをもとに、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期という時期に区分されています。

縄文時代草創期から早期末の遺跡は数が少なく、ほとんど見つかっていない状況です。早期末になると遺跡が増え、爪形文土器や刃の部分だけを磨いて作る石斧など独自性の高い道具を使う時期になります。

前期になると九州一帯に広がる曽畑式土器が沖縄でも出土するようになり、それ以降九州との交流がみられるようになりますが、中期まで遺跡数はまばらです。

後期になると、伊波式土器・荻堂式土器と呼ばれる沖縄独自の縄文土器が誕生します。これらの土器は沖縄諸島の各地の遺跡でみつかり、さらに石灰岩丘陵の台地上の遺跡では竪穴式住居もつくられるようになり、この時期に人々が沖縄諸島の各地で本格的に暮らすようになったと考えられています。この暮らしは晩期に最盛期となりますが、晩期の後半から徐々に土器の文様がなくなっていき、縄文時代の終わりを迎えます。

写真:高嶺遺跡
写真1 高嶺遺跡 竪穴住居跡
写真:シヌグ堂遺跡
写真2 シヌグ堂遺跡 竪穴住居跡

縄文時代の生活 ・狩猟・漁撈・採集

縄文時代には、山や海といった自然から得ることのできる資源を利用して暮らしていましたが、日本本土とは少し異なった様子が見られます。

山の資源としては、リュウキュウイノシシの骨が多く見つかるので食糧としていたことがわかります。沖縄では、日本本土の縄文時代でみられる狩猟具と考えられる石鏃などの遺物があまり出土しない特徴があります。そのため、どのようにリュウキュウイノシシを獲得していたのかあまりわかっていません。

木の実を貯めておく貯蔵穴や、ドングリなどの堅果類を磨り潰すための石皿や磨石が出土するので、植物性の食料資源も積極的に獲得していたことがわかります。

海の資源としては、サンゴ礁に生息する魚や貝などの骨や殻が多く出土するので、サンゴ礁の資源を活発に利用していたようです。魚の捕獲方法は、二枚貝に穴をあけたおもり(貝錘)が出土することから網を使っていたようです(盛本 1988)。釣針や銛などが少ないことも特徴的です。

写真:石器群
写真3 沖縄県で出土する石器群

縄文時代の交流

沖縄の縄文時代には、海を越えた交流が行われていた証拠が得られています。沖縄諸島内では、沖縄本島北部や慶良間諸島、久米島を産地とする石材が石器の材料として沖縄諸島各地の遺跡で見つかっています。これら沖縄諸島内での交流は、主に舟を利用したとされており(安里 1992)、当時は陸路よりも海路のほうが主な交通手段だったようです。

奄美群島との交流は、奄美大島に多い面縄東洞式や嘉徳Ⅰ・Ⅱ式(縄文時代後期)の出土からわかります。古我地原貝塚では、これらの土器が多く出土しています。さらに、曽畑式や市来式土器といった九州地方の土器、石器の良質な材料となる佐賀県腰岳産の黒曜石、垂飾りに使われた新潟県糸魚川産のヒスイなども見つかっているので、九州を含めた様々な地域との交流が行われていたようです。

写真:土器群
写真4 沖縄県で出土する土器群

縄文文化の祈りとこころ

沖縄の縄文時代の遺跡からは、蝶形骨製品をはじめ、貝製品、特殊な形状の石製品、石棒状製品の出土がみられます。これらは日常的に使用する道具ではなく、別の目的をもって制作されている可能性が非常に高く、沖縄県の縄文時代の祈りとこころについて物語る資料となっています。

なかでも蝶形骨製品はジュゴンの骨を加工してチョウの形をなすもので、沖縄県でみられる特徴的な遺物です。その用途は装身具としての利用のほかに、何らかのシンボル的な要素があると考えられています(島袋 1991)。

これらの遺物の出土数は多くはありませんが、各遺跡で少数出土していることから、重要な意味をもつ遺物だと考えられます。

もっと詳しく知るために

  • 安里嗣淳 1992 「先史沖縄諸島人の交通」 『史料編集室紀要』17号 沖縄県立図書館史料室編集室
  • 伊藤慎二 1993 「琉球縄文文化の枠組」 『南島考古』No.13 沖縄考古学会
  • 大堀皓平 2014 「先史時代の石材獲得 石器のスタイルからみた地域性と石材の獲得・流通と利用」『先史時代の地域間交流を考える 貝交易以前のモノの移動と流通』 沖縄考古学会研究発表会資料集
  • 金子浩昌 2014 「沖縄縄文時代の蝶形骨製品 その素材と形態について」 『MUSEUM 東京国立博物館紀要』第649号 東京国立博物館
  • 島袋春美 1991 「いわゆる「蝶形骨器」について」『南島考古』No.11 沖縄考古学会
  • 北谷町教育委員会 2007 『伊礼原遺跡』
  • 盛本勲 1988 「琉球列島の貝製漁網錘」 『季刊考古学』第25号 雄山閣
  • 盛本勲 2012 「奄美・沖縄地方の縄文集落の生活と生業」 『生活・生業』シリーズ 縄文集落の多様性Ⅲ 雄山閣
  • 山崎真治 2014 「旧石器時代から貝塚時代へ 起源論研究の現状とその行方」 『琉球列島の土器・石器・貝製品・骨製品文化』 六・一書房

(2015年 亀島慎吾)

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