東恩納寛量は、米国のペルー提督が那覇に立ち寄った同じ年、1853年に生まれました。小柄でしたが、抜群の運動神経で、当時「手(ティー)」と呼ばれていました空手が得意でした。二十歳を過ぎた頃、寛量は、当時の一つの風潮でも合った中国・福建省に渡り、武術の修行をしました。計三回ほど福州に渡り最後に沖縄に帰ってきたとき寛量は40歳になっていました。
福建省に滞在中の激しい修行ぶりと武勇伝はいくつか伝えられていますが、鍛錬用の武具をたくさん持ち帰り、それは今日の沖縄伝統空手道の鍛錬具の基礎となりました。
右のイラストは、福建省での修行時代、同門の巨漢の高弟が酔って暴れたときに取り押さえた様です。その後、再度対決した際、寛量
が型を演じると、巨漢の高弟はその見事だに感服し、小柄な寛量を師のように敬うようになったということです。