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斎場御獄(セーファウタキ)
琉球最高の聖域。阿摩美久が作った国はじめの七御嶽の一つと伝えられている。



 世界遺産は各国の重要な文化や自然を保護するため、国際的な協力を整え世界遺産条約に基づいて登録される。 世界遺産に登録されるということは、ある特定の民族にだけ大切なものではなく、 人類にとって普遍的な価値を持つという意味をもつ。登録への推薦で、沖縄も世界的な観光地づくりに向け発展が期待される。




 堅牢な城塞ばかりが城だと思われがちだが、沖縄の場合はそうではない。琉球王国のグスクとは、 聖域説と集落説、さらにその二つをグスクの展開の一面であるととらえる説と様々である。 信仰の対象となった祈りの場所である御嶽(ウタキ)、風葬地などさまざまな形態のグスクが存在している。
 十六世紀に入ると石造建築物が頻繁に建造される。王家の墓である玉陵(タマウドゥン)は、 第二尚氏王統歴代の墓陵で1501年創設。珊瑚のかけらが敷き詰められた前庭には厳かな空気が張り詰めている。 琉球随一の庭園・識名園は冊封使を歓待するために造られた。時は、琉球文化の黄金期である。また、 尚真王はおもろそうし編纂をはじめ芸術を奨励し文化事業を行った。 十五世紀後半から十六世紀前半は琉球王国の基盤づくりともいえる。
 琉球の精神世界と切り離せない場所も遺産群に推薦されている。 琉球最高の聖域とされる斎場御嶽(セーファウタキ)や国王が城外に出かけるときに安泰を祈願したと伝えられる拝所・園比屋武御嶽 (ソノヒャンウタキ)は、現在でも多くの人が祈りを捧げる場所である。 緑豊かな首里を中心に繁栄した琉球王国の時代に思いをはせる。 首里の町並みが戦前のまま残っていたら京都、奈良、日光と肩をならべる観光地になっていたと司馬遼太郎は「街道をゆく」に記した。今、 復元され、祈りの対象として人々の生活に生き続ける遺産群は、琉球という独自の文化の光彩を放っている。 世界遺産の登録で琉球王国の存在がまさに世界に知らされて、人類の記憶として残されようとしている。


玉陵(タマウドゥン)
沖縄の墓陵の代表的なもので破風墓の3基連続した形式である。




識名園
江戸時代の大名庭園に近いが中国的な要素と南国の植栽で独自の風格を生んでいる。




園比屋武御嶽石門(ソノヒャンウタキ)
国王出御のときなど重要な儀式に祈願したといわれる。


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園比屋武御嶽石門
(ソノヒャンウタキ)

電話/
098-853-5776
那覇市教育委員会文化財課

住所/那覇市首里真和志1丁目7
料金/無料
アクセス/バス市内線1・12・13・14・17池端バス停下車
玉陵
電話/
098-885-2861
玉陵管理事務所
098-853-5776
那覇市教育委員会文化財課

住所/那覇市首里金城町1丁目3
料金/大人200円 小人100円(団体割引き20名以上で100円/50円)
入場時間/9:00〜17:30(見学18:00)
アクセス/バス市内線1・12・13・14・17 池端バス停下車
識名園
電話/
098-855-5936
識名園管理事務所
098-853-5776
那覇市教育委員会

住所/那覇市真地御殿原
料金/大人300円 小人100円
入場時間/9:00〜17:30(4/1〜9/30)/9:00〜17:00(10/1〜3/31)
アクセス/バス市内線1・5識名前バス停下車徒歩2分
  斎場御嶽
電話/
098-948-1413
知念村役場農業経済課
098-948-1149
知念村教育委員会社会教育課

住所/知念村字久手堅2サヤハ原
料金/無料
アクセス/那覇バスターミナルから市外線38 体育センター前バス停下車徒歩5分


 世界遺産は1972年ユネスコ総会において採択された条約で、締結国は世界156カ国にも及んでいます。文化・自然遺産を人類全体のための世界の遺産として保護、保存し、国際協力で援助の体制を確立することを目的にしています。
 昨年、文化庁は首里城など9ヶ所を「琉球王国のグスクおよび関連遺産群」として世界遺産に推薦しました。3回の連載で人類の遺産となるであろう文化財を紹介、先祖が築いた琉球文化を受け継いできたことへの確かな評価に、誇りと夢が膨らみます。
 いよいよ2000年12月、登録が期待されています。

「琉球王国のグスク及び関連遺産群」
  申請しているのは9資産で、重要文化財2棟、史跡7、名勝1が指定されており、内容は、琉球が琉球王国への統一に動き始める14世紀後半から、王国が確立した後の18世紀末にかけて生み出された、琉球地方独自の特徴を表す文化遺産群である。

1)今帰仁城跡(なきじんじょうあと)(国頭郡今帰仁村)【遺跡】
琉球に統一王朝が樹立(1429年)される直前の三山時代(北山、中山、南山)の北山を治めた国王の居城。1416年に北山が中山によって滅ぼされた後には、琉球王府から派遣された監守の居城となった。史跡に指定されている。

2) 座喜味城跡(ざきみじょうあと)(中頭郡読谷村)【遺跡】
1420年代に有力な按司であった護佐丸によって築かれた城。北山が滅びた後にもその旧勢力を見張る目的で造営され、琉球王国成立の初期に国家権力の安定に重要な役割を果たした。史跡に指定されている。

3) 勝連城跡(かつれんじょうあと)(中頭郡勝連町)【遺跡】
琉球王国の王権が安定していく過程で、王国に最後まで抵抗した有力按司、阿麻和利の居城。阿麻和利は、1458年に王国の重臣で中城に居城した護佐丸を滅ぼし、さらに王権の奪取をめざして王国の居城である首里城を攻めたが大敗して滅びた。これにより首里城を中心とする中山の王権は安定した。史跡に指定されている。

4) 中城城跡(なかぐすくじょうあと)(中頭郡北中城村・中城村)【遺跡】
首里王府に対抗していた勝連城主の阿麻和利を牽制するために、座喜味城主であった護佐丸が国王からの命により移り住んだ城で、琉球王国の王権が安定化していく過程で重要な役割を果たした。史跡に指定されている。

 

5) 首里城跡(しゅりじょうあと)(那覇市)【遺跡】
首里城は、三山時代は中山国王の居城であったが、1429年の琉球王国統一後は1879年に至るまで、琉球王国の居城として王国の政治・外交・文化の中心的な役割を果たした。史跡に指定されている。

6) 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)(那覇市)【記念工作物】
園比屋武御嶽石門は、第二尚氏王統第3代王の尚真(在位1477〜1526)によって創建された石門で、門の背後の樹林地は園比屋武御嶽と呼ばれる聖域となっている。門は重要文化財に、門とその敷地は史跡「首里城跡」の一部である。

7) 玉陵(たまうどぅん)(那覇市)【記念工作物】
第二尚氏王統第3代王尚真(在位1477〜1526)によって築かれた第二尚氏王統の陵墓。近世日本の琉球地方において確立された、独自の石造記念建造物のデザインを示す重要な事例である。重要文化財と史跡に指定されている。

8) 識名園(しきなえん)(那覇市)【遺跡(文化的景観)】
1799年に造営された王家の別邸の庭園。王族の保養の場として使われただけでなく、中国皇帝の使者である冊封使を接待する場所としても使われ、王府の外交面において重要な役割を果たした。識名園は、近世日本の琉球地方において確立した独自の庭園デザインを示す貴重な事例である。

9) 斎場御嶽(せいふぁうたき)(島尻郡知念村)【遺跡(文化的景観)】
第二尚氏王統第三代王の尚真(在位1477〜1526)が整備した国家的な宗教組織との関係が深い格式の高い御嶽で、中央集権的な王権を信仰面、精神面から支える国家的な祭祀の場として重要な役割を果たした。斎場御獄は、琉球地方に確立された独自の自然観に基づく信仰形態を表す顕著な事例である。史跡に指定されている。



●ぐすく紀行:その一 桜の城郭 今帰仁城跡
●ぐすく紀行:その二 芸術を育む城の存在 中城・勝連・座喜味城跡

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