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インタビュー ■ 日南休智恵さん ■吉冨弓江さん |
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36歳で沖縄へ移り住んだ吉冨弓江さんは、「移住を決めるのに年齢は関係ない」と自身を振り返る。その理由のひとつは、ダイビングはいくつになってもできるレジャーだから。そしてもうひとつ、「動けるチャンスに恵まれたときに行動を起こしておかないと、後からあのときああしてたら_なんて後悔が残るから」。生活基盤の再構築をおっくうがったり、もういい歳だし_という理由で諦めるべきではないと話す。 長年勤めた会社に辞表を出すという決断と引き替えに、沖縄での職を約束されるという幸運を手にした吉冨さん。移住後初めてのファンダイブでは、近付いてくるポイントを眺めながら「これからいつでも、何回でもここに来れる!」と、自分の選んだ道が間違っていなかったことを実感したという。 北海道出身の吉冨さんがダイビングと出会ったのは、31歳のとき。北海道の内陸部で育ったため、もともと水には興味が強かった。水上スキーを24歳で始めた彼女は、以来、毎週支笏湖へ出掛け、湖畔でキャンプをしながら水と遊んでいた。そのうちダイビングにも目が向くようになり、知人であるインストラクターから講習を受け資格を取る。講習は、秋の積丹半島の海でだった。「なんて波が高いんだ」という印象とともに、緊張と寒さでエントリー前から腹痛に襲われるという、最悪の状態だったそう。しかし水中に入ってみると、「ソイやホッケを見ながら、思いっきり楽しめました」。 すぐに次のステップアップコースにエントリー、講習中にパラオへ潜りにも行った。「パラオではトロピカルな海に感動して、まわりの人のことなんて全然見えてなかったですね。とにかく魚しか目に入らなかった」と笑う。日本に戻ってからはさらに上級の資格を取得、積丹半島の海をホームグラウンドに、ダイビング漬けの休日を毎週過ごすようになった。 そんな吉冨さんが沖縄の海を知ったのは、ダイビングを初めてちょうど1年が経ったころ。行きつけのスナックのマスターが企画した、「沖縄グルメツアー」への参加がきっかけだった。せっかく沖縄に来たんだからと、旅程の中で1日だけダイビングを申し込んだ。この日のポイントは、ケラマ諸島・渡嘉敷島にある「アリガー」という場所だった。後に、彼女が沖縄に移住して初めてファンダイブで案内されたポイントは、奇しくも同じ場所であった。「那覇から手軽に日帰りできて、しかも透明度はいいし魚も多いし、とにかく大感動!このとき漠然と、沖縄の海でずっと潜れたらいいなあと思いましたね。4年後に移住してまたアリガーに来たときには、帰ってきたー!って喜びでいっぱいでしたよ。ボートがだんだん島に近付いてくるとね、見たことのある風景なんですよ。アリガーだと気付いたときには、移住したことでグンと沖縄の海が身近になった実感で、うれしくってうれしくって」。 しかし、吉冨さんの意識の中に移住という言葉が出てくるのは、グルメツアーからずっと後のことである。ケラマの海への思いはあったが、日本の北端から南端の島への旅にはまとまった旅費が必要である。それよりも彼女は毎週潜りに行くことを選択し、地元の海に通った。3年ほど経って、やはり沖縄への思いが募った吉冨さんは、石垣島へ潜りに行く。「このとき、沖縄県内のどこかに住めば、いつでもこんな離島へ潜りに来れるなと考えましたね」。36歳になったばかりの、秋のことである。 それからの行動は素早かった。旅行から戻ると、インターネットで職探しを始めた。大学卒業からずっと薬剤師として仕事を続けていた吉冨さんは、沖縄県内での薬剤師の募集を探す。そんな折ダイビング雑誌で、与論島にある病院の募集広告を目にした。沖縄にも近いし、南の島だし、与論島も悪くないなと思ったという。ただ、10年働いた会社をやめるには、相当のエネルギーが必要である。生まれてからずっと、北海道以外の土地で暮らしたこともない。行動をおこしたいという希望はあっても、現実の問題を直視するにつれ、彼女の腰は重くなっていった。その年の11月、今度は伊江島に潜りに行った吉冨さん。「ここで吹っ切れましたね」。 ダイビングショップのオーナーは、漁師だった。彼が話す沖縄の海への熱い思いや、奥さんと娘のあたたかい対応に、彼女の心は大いに刺激を受けた。「こんな素敵な人たちが、南の島にはいっぱいいるんだと思いました。絶対住むぞって決めましたよ」。 北海道に戻ると、与論島の病院へ履歴書を送った。すぐに採用通知が届き、「いつから来れるのか?」と催促を受けた。まずは今の仕事を退職しなければいけないし、引っ越しの準備もあるので、半年後にと答えた。病院側は、それでもOKなので待っていると言ってくれたそう。12月末、吉冨さんは退職届けを出した。翌年の4月末までということで受理され、年が明けると移住の準備に取り掛かった。ところがこの後、彼女の移住計画は急に行き先を変更する。退職することを聞いた知人が、「沖縄本島で薬局を開く予定がある。春に仕事をやめるなら、それから少しの間、沖縄で待機していてくれないか」と声をかけてくれたのである。薬剤師として10年間積み上げてきたキャリアを見込んでの、申し出だった。「那覇なら離島へのアクセスもいいし、あのケラマの海にまた潜れる」。そう考えた吉冨さんは、与論島の病院へ辞退の連絡を入れた。 「那覇での住まいを探すため、退職までの期間に休暇を利用して、4回ほど沖縄に来ました。でも_」と、吉冨さんはそのときの苦労を振り返る。「沖縄に知り合いなんていないから、保証人が立てられなくって契約寸前で話が振り出しに戻ったこともありました。浴槽がなくシャワーのみというスタイルが一般的な沖縄の風呂事情にも、戸惑いましたね」。実際に住んでみると、湿度があまりにも高いことに閉口したという。「梅雨のない北海道から来たので、湿気には耐えられなかったですねえ。除湿のためにクーラーをつけっぱなしにしてたら、電気料金の請求書を見てびっくり。我慢したら、今度は押入の中の服にカビが生えました」。 2000年5月末に晴れて那覇市民となった吉冨さんは、引っ越しの片付けもほどほどに、沖縄入りから10日後には市内のショップへファンダイブを申し込む。その後、毎週1回はボートでケラマへ潜りに行くようになり、そのうち顔見知りの仲間も増えてきた。仕事は、当面のパートということで、薬局での仕事がすぐに見つかった。「資格をもっていたことと、たまたま募集があったのでラッキーでした」と、振り返る。 「移住生活をうまく続けるコツは、遊びと仕事のバランスをきちんと考えること」と、吉冨さんは言う。「楽しいからといって無計画に遊び、潜ってばかりいると、そのうち生活は成り立たなくなってしまう。仕事に比重を置いてきちんとした収入を得てこそ、ダイビングでも100%のリラックスと満足感が得られますよ」。 永住ですか?と質問を投げると、「3年後に考えます」と返事が返ってきた。「どんな仕事でもまずは3年間、集中して働かないと基盤は築けないから」だそう。沖縄で薬剤師として3年頑張った上で、まだここで潜り続けていたいと思ったら、そのときは永住するかも_と彼女は答えた。「沖縄に来てから、小物を見る楽しみを、ガイドの人に教えてもらったんです。1m四方の範囲内で1ダイブを十分に満喫することもできますよ」という吉冨さん。移住したお陰で、新たなダイビングスタイルに出会えたようだ。また、移住後初めて迎えた誕生日は、宮古島でたくさんのダイバーに囲まれ祝福された。那覇を拠点に離島へ潜りに行くという念願も、着実に実行できている。 きっと3年後には、さらに増えたダイバー仲間に囲まれながら、新たな沖縄の魅力を見つけ、島を離れられなくなっている彼女がいるのだろう。
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